教区の歴史

教区の歴史

ケルンカテドラルでの聖霊降臨荘厳ミサ

2004年05月30日

(2004年5月30日、ケルン大司教区カテドラルにてマイスナー枢機卿主司式のケルン・東京両教区友好50周年祝賀ミサが捧げられ、岡田大司教は説教を行い以下のように述べた) 

 

本日は復活節第6主日です。第一朗読の「使徒たちの宣教」にあるように、初代教会において大きな論争が持ち上がりました。「割礼」論争です。異邦人の改宗した者も割礼を受けなければ救われないのか、という論争です。その結果はご存知のように、非ユダヤ人が洗礼を受ける場合、割礼は受ける必要はないことになりました。そのように決定するまでには使徒と長老たちの間で激しい論争がありました。しかし、結論は満場一致で「割礼は不要である」ということになったのです。この決定を知らせる使徒たちの手紙の中に次のような注目すべき表現があります。 

「聖霊とわたしたちは、次の必要な事がら以外、一切あなたがたに重荷を負わせないことに決めました。云々。」「聖霊とわたしたち」という表現が大切です。使徒たちは、この決定は聖霊の導きによると固く信じていました。この決定は非常に重要でした。この決定によって、ユダヤ民族の間で生まれたイエスの福音がギリシャ世界へ広がる道筋が開かれたのです。ユダヤ人だけの宗教からギリシャ世界、ラテン世界の宗教となる重大な契機をもたらしたのが、このエルサレムの使徒会議でした。 

使徒行録の中で最も目立つのは聖霊の働きです。初代教会は聖霊によって誕生し、聖霊によって導かれ、聖霊によって発展しました。この聖霊の派遣は最後の晩餐の席ですでにイエスが預言したことです。イエスは弟子たちに言われました。「弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教えてくださる」。

聖霊降臨はこのイエスの約束の成就であり、使徒たちに聖霊の賜物を与え、宣教に向けて使徒たちを派遣するという出来事でした。聖霊の働きを受けた使徒たちは全世界へ行って福音を宣べ伝え教会を建設しました。日本の教会は1549年の聖フランシスコ・ザベリオの宣教によって始まりました。そのときから450年が経過しています。 

いま、わたしたちの東京教区は、『新しい一歩』『福音的使命を生きる』の2つのメッセージのもと、教会の刷新と建て直し、活性化を図っています。改革を進めるということにはいつも困難が伴います。困難はわたしたちの外にあるものというよりわたしたち自身の中にあると、わたくしは痛感しています。問題は、わたしたちの弱さ、不明、エゴイズムにあります。何が正しいことか、何が神の前にふさわしいことかを悟るに遅い、鈍いわたしたちです。自分の安全や楽な生活を捨てたくないので大切なことを後回しにしてしまうわたしたちです。正しいこと、本当のこと、美しいことを知ってもそれを実行しない臆病で怠惰なわたしたちです。 

これはまさに堅信の秘跡の恵み、聖霊の賜物を必要としている状態です。聖霊のたまもの、それは知識と理解、判断と勇気、神を知る恵み、神を愛し敬う心の7つです。昔の公教要理では聖霊の7つの賜物は次のように教えられていました。上智、聡明、賢慮、剛毅、知識、孝愛、敬畏です。今日これから堅信を受けられる皆さんは当然ですが、すでに受けているわたしたちにとってもこの恵みがさらに必要です。堅信は二度と授けられることはありません。でも、いったん有効に授けられた秘跡はわたしたちの魂に印章として記されていると教会は教えています。 

祈りましょう。主なる神よ、かつてわたしたちの魂に刻み付けられた堅信の秘跡の印章をいまこそ働かせ、わたしたちのなかにその恵みを燃え立たせてください。わたしたちがキリストの使徒として、聖霊の賜物によって、神のみ心を知り、み心にかなうことを行うことができますよう、どうか一人ひとりを教え導き力づけてください。主キリストによって。