東京大司教区

カトリック関口教会

※新型コロナウイルス感染症防止のため、ミサや各種行事の時間が変更になっている場合があります。教会にお越しの際は、必ず事前にお問い合わせくださるようお願いいたします。

名称

カトリック関口教会

教会堂名

無原罪の聖母

創立年月日

1900年1月7日

主任司祭

パウロ 小池 亮太 (こいけ りょうた) )※本郷教会主任兼任

協力司祭

ホルヘ・ラミレス

終身助祭

アントニオ 三田 一郎 (さんだ いちろう)

信徒数

2,230人(2019年12月31日現在)

主日のミサ

日曜日
8:00 (大聖堂、日本語ミサ)
10:00(大聖堂、日本語ミサ)
12:00(大聖堂、韓国語ミサ)

週日のミサ

月~土曜日 7:00(大聖堂、日本語ミサ)

宣教協力体

北・文京 

教会学校

10:00ミサ後

講座

入門講座

  • 木曜日 19:00-20:00 
  • 土曜日 11:15-12:15 / 16:30-17:30
  • 日曜日 11:30-12:30

聖書講座

  • 第2.4金曜日 10:00-11:30
  • 第1,3土曜日  19:00-20:30

信仰講座

  • 土曜日 10:00-11:00
  • 日曜日 11:30-12:30

福祉活動

お問い合わせください。

諸活動

お問い合わせください。

住所

〒112-0014 東京都文京区関口3-16-15 [Google地図]

電話

03-3945-0126

Fax

03-3945-2798

ホームページ

https://catholic-sekiguchi.jp/

身障者設備

スロープ、エレベーター、トイレ、難聴者用ヘッドホーンシステム

交通案内

東京メトロ有楽町線「護国寺駅」(出口6)より、徒歩10分。 同じく有楽町線「江戸川橋駅」(出口1a)より、徒歩15分。    

JR山手線「目白駅」より、 都営バス 白61系統 “新宿駅西口行き”

JR「新宿駅」より、 都営バス 白61系統 “練馬車庫前行き”   どちらも「椿山荘前停留所」下車、徒歩1分。 ※駐車場あり

歴史

オズーフ大司教は、東京の発展と司教座教会の将来を考慮し、東京の中心地に土地を探した。

1886年常陸国茨城郡宍所の藩主、松平大炊頭頼徳の屋敷跡4,800坪を見つけ、そこを購入した。これが関口の現東京カテドラルの敷地である。

1882年に来日し、浅草や本所の教会で働いたのち、築地の神学校の教授となっていたレイ神父は、学校教育に大きな関心を寄せていた。彼は1887年、関口台に購入されていた土地に、聖母仏語学校と呼ばれる工芸学校を創立した。1888年に食パン製造部、1889年に裁縫部、1892年に左官部も加えられた。

1893年、聖母仏語学校に付属していた聖堂は、小石川聖マリア教会として独立し、小教区としての性格を持つようになった。

1896年レイ神父は、聖母仏語学校で養成した教え子たちの協力を得て、当時の東京で最も大きな関口天主堂の建堂に着手した。聖堂は優雅な、ゴチック式のもので、レイ神父自ら設計し、監督もして、1899年に完成した。9月10日、オズーフ大司教は一点の雲もない秋空の元、盛大に献堂式を行った。
東京六教会の基盤が整うと、各小数区がもっと密接に協力し合うことによって、教勢を発展させようとする憧れが強まり、まず、東京教区の伝道士黙想会が、1900年6月12日から5日間、築地教会で開催された。 また、1903年6月14日、聖体の大祝日後の日曜日には、午後4時から、東京六教会の信者による、初めての聖体行列が関口教会の構内で挙行された。参集した信者の総数は800名を越え、門前や構内の警備のため、巡査が派遣され、氷屋、菓子屋の出店や、門前に露店を出す者も見られたという。

1912年、小石川聖マリア教会(関口天主堂)において、東京教区長レイ大司教の着座式が行われた。彼は以後、大司教座のある築地には住まわず、関口教会内で執務した。

1920年、大司教座は築地から関口に移転した。新しい時代に向け、大きく発展していく東京大司教区の新たな出発であった。

1964年12月8日には、現在の関口カテドラル聖マリア大聖堂が完成。教区の式典行事は全てこの大聖堂で行うことができるようになった。
 

現状

現在関口教会は、東京教区の中心教会としてばかりでなく、国際化が進む日本の中で、国際教会としての役割も担っている。在日・滞在外国人にとって、憩いと安らぎ、交わりの教会として、ますます開かれていくことが求められるであろう。   教区ニュース90号(1992年2月発行)より