大司教
週刊大司教第二百四十九回:四旬節第五主日
2026年03月23日
四旬節第5主日です。
この一週間は、国際カリタスの総裁の業務で、カリタスアフリカの総会に出席するため、アフリカのコートジボアールへ出かけており、土曜の夜まで帰国していません。詳細については、帰国後に報告します。
以下、本日午後6時配信、週刊大司教第249回、四旬節第五主日のメッセージです
四旬節第五主日
週刊大司教第249回
2026年03月22日前晩
復活祭を間近に控えた四旬節第五主日、イエスの親しい友であったラザロの死と復活の話が、ヨハネ福音から朗読されます。特に復活祭に洗礼を受けるために最終の準備の時期に入る教会は、本日のミサにおける洗礼志願者のための祈りで、「あなたはラザロと墓の中から呼び起こし、またご自分の復活によってすべての人を死から解放して」くださったと記します。それによってラザロの復活と主の復活は異なる現実であることを明示します。すなわち、ラザロは主によって呼び起こされたのであり、主はご自分で復活されたと明示することで、主こそがいのちの与え主であり、復活であり、永遠のいのちであることを、信仰においてわたしたちが再確認するようにと促しています。主こそはいのちの与え主であり、復活であり、いのちであります。
イエスは、ラザロの死という苦しみに直面して、単に悲しみに暮れるのではなく、その痛みと苦しみを通じてこそ、神は栄光を現すのだと明示されました。そして御自身も受難の道へと歩みを進められ、十字架上で苦しみの後にいのちをささげられます。しかしその苦しみを通じて、神は永遠のいのちへの復活という栄光を世に示されました。
教皇ベネディクト十六世は、15年前の3月11日に発生した東日本大震災の苦しみを経験した日本の少女の質問に、海外メディアの企画でしたが、答えたことがありました。
「なんで子どもも、こんなに悲しいことにならなくてはいけないのですか」と問いかける少女に対して、教皇は、「これに対する答えを持ちません」と、正直に応えられました。
その上で、「でも、イエスが皆さんのように無実でありながらも苦しんだこと、イエスにおいて示された本当の神様が、皆さんの側におられることを、私たちは知っています。・・・神様が皆さんのそばにおられるということ、これが皆さんの助けになることはまちがいありません。・・・今、大切なことは、『神様はわたしを愛しておられる』と知ることです」と、苦しみのなかにあっても神の愛に身を委ねることが希望を生み出すのだと強調されました。
ベネディクト十六世は回勅「希望による救い」のなかで、「苦しみは人生の一部」だと指摘されています。苦しみは、希望を生み出す力であり、人間が真の神の価値に生きるために、不可欠な要素です。苦しみは、神がわたしたちを愛されるが故に苦しまれた事実を思い起こさせ、神がわたしたちを愛して、この世で苦しむわたしたちと歩みをともにされていることを思い起こさせます。
復活祭が近づいた今、改めてわたしたちの信仰の原点であるいのちの与え主との出会い、そして苦しみを通じてこそ現される神の栄光に信頼し、特にこの時期、洗礼の準備をしている兄弟姉妹と歩みを共にしながら、信仰における希望を新たにいたしましょう。