大司教

週刊大司教第二百四十一回:年間第三主日

2026年01月25日

年間第三主日、神のことばの主日です。

教皇フランシスコは、自発教令の形式による使徒的書簡『アペルイット・イリス(Aperuit illis)』をもって、2019年9月30 日(聖ヒエロニモ司祭の記念日)に、年間第三主日を神のことばの主日とすることを宣言されました。こちらの中央協議会のページに同書簡へのリンクがありますので、一度ご覧ください。

いのちのパンとしての主イエスの現存である神のことばに親しむことは、主イエスの現存である聖体の秘跡に与ることに匹敵するのだと、第二バチカン公会議は指摘しています。ミサの中で聖書が朗読されるとき、神の言葉はそこで生きており、そこに主がおられます。私たちを生かしてくださる主の言葉の朗読に、真摯に耳を傾けましょう。

また1月の第四日曜日はケルンデーです。戦後からいまに至るまで、多くの支援を頂いたケルン教区のために祈り、同時に現在はともに支えているミャンマーの境界にも思いを馳せていただければと思います。ケルンとの関係の歴史は、東京教区ホームページのこちらをご覧ください。また今年はケルンデーのための共同祈願を用意しました。こちらをご覧ください

年明け早々に衆議院が解散され、2月8日には衆議院議員選挙が行われることになりました。このところ大雪が各地で続いているので、大切な投票日に多くの方が投票所へ足を運べないような事態にならないことを祈っています。

国会議員を選出する選挙は、いつであっても国政の有り様を左右する重要な選挙であり、その結果は日本に住むすべての人の生活に直結するものです。投票する権利のある方にあっては、この機会を大切にしたいと思います。

神から与えられたいのちの尊厳を大切にしているわたしたちは、神の望まれる世界を実現するために力を尽くさなくてはなりません。イエスが告げ知らせ、多くの信仰の先達がいのちをかけて護り伝えてきた福音がわたしたちの社会の価値観を支えるような世界を目指さなくてはなりません。そのためにも、国家の政治のリーダーたちが、聖霊の導きに耳を傾け、神の望まれる平和の実現に向けて歩むように、また、すべてのいのちが守られる世界が実現するように指導力を発揮してくださることを願い、祈りましょう。さらには人間の尊厳が守られる世界の実現に結びつく政治のリーダーが誕生するように、この選挙を前にともに祈り、いつくしみ深い御父の導きと聖霊の照らしを願いましょう。

以下、24日午後6時配信、週刊大司教第241回、年間第三主日のメッセージです。

年間第三主日(神のことばの主日)
週刊大司教第241回
2026年01月25日前晩

年間第三主日は、「神のことばの主日」です。

イエスはその宣教活動を、「悔い改めよ。天の国は近づいた」ということばを持って始められました。イエスこそは、神の言葉そのものの受肉です。この主日を定められた教皇フランシスコは、使徒的書簡「アペルイット・イリス」で、第二バチカン公会議の「啓示憲章』に言及し、「かつて永遠なる父のみことばが人間の弱さをまとった肉を受け取って人間と同じようなものになったと同様に、神のことばは人間の言語で表現されて人間のことばと同じようなものにされた」と指摘されています。そこに、神が自らいのちを創造し与えられた人間に対する愛の発露が、神ご自身のへりくだりによって明確に表されていると教皇は述べています。

聖書を通じて聖霊の働きを持っていまもわたしたちとともにおられる神のことばは、単にあがめ奉る対象ではなく、「主は自らの花嫁に生きたことばを絶えず語り続け」ているのであって、そのことばに生かされることによって「花嫁である教会は愛のうちに、また信仰のあかしのうちに成長することができます」と教皇は呼びかけます。神のことばは、神の愛の発露であります。

マタイによる福音は、イエスの公生活の始まりを伝えています。

イエスの宣教活動は、それを支え、ともに歩む弟子たちを召し出すことから始まりました。ガリラヤ湖畔でイエスは漁師であったペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレに、「わたしについてきなさい。人間をとる漁師にしよう」とことばを持って呼びかけます。さらにはゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネにも声をかけられます。二人ずつ四人を召し出すこの物語は、福音宣教の業が、常に共同体の業であることを象徴しています。同じ愛のことばを持ってイエスは、現代社会にあってもわたしたちに「私についてきなさい。人間をとる漁師にしよう」と声をかけ続けておられます。わたしたちはその声に応えて、「愛のうちに、また信仰のあかしのうちに成長」しているでしょうか。神のことばに呼びかけられているわたしたちひとりひとりの責任は、イエスの言葉に応えて行動することです。

啓示憲章には、「教会は、主の御からだそのものと同じように聖書をつねにあがめ敬ってき〔まし〕た。なぜなら、教会は何よりもまず聖なる典礼において、たえずキリストのからだと同時に神のことばの食卓からいのちのパンを受け取り、信者たちに差し出してきたからで〔す〕」(『啓示憲章』 21)とも記されています。ご聖体に対する信心を深めるわたしたちは、聖書を通じて語られる神のことばにも、同じように深い尊敬の念を持って耳を傾けたいと思います。そこに主がおられます。

先日行われた臨時の枢機卿会の閉会にあたって、教皇レオ十四世はこれから数年間の教会の優先課題を明確にするために、多くの声に耳を傾ける姿勢を明確にし、その上で、「わたしたちはキリストのことばを告げ知らせたいと望みます。それゆえ、現代世界の中であかしを行うことができる、真の霊的生活をわたしたち自身においても生きることが重要です」と呼びかけられました。

わたしたちは、それぞれが生きている場において、それぞれに与えられた方法を持って、神の言葉をあかしする者、すなわち主イエスを多くの人にもたらす者でありたいと思います。