大司教

週刊大司教第二百四十回:年間第二主日

2026年01月21日

降誕祭も終わり、典礼は年間に入りました。年間第二主日です。

教皇レオ十四世の最初の使徒的勧告、「わたしはあなたを愛している(Dilexi Te)」の邦訳が終わり、書籍として発売されています。教皇フランシスコが準備されていた、貧しい人への教会とわたしたちひとり一人のかかわりについて記した文書を、教皇職を引き継いだレオ14世が完成させた内容です。この文書を出すことを通じて、教皇レオ14世は、教皇フランシスコが示されたいつくしみの神にならう教会のあり方を引き継いでいくことを宣言されています。ご一読ください、

1月17日の土曜日、東京教区の年始の集いが行われました。以前から行われていた恒例の年初の行事ですが、コロナ禍の中で中止になったり規模の縮小もありました。また以前のように戻していきたいと思いますが、教区内のすべての小教区共同体などから代表の方においでいただき、この一年の教会活動の方針について思いを共有し、聖霊の導きをともに祈る場としたいと思います。今回は土曜日の開催となりましたが、できれば来年以降は成人の日(月曜日祝日)に開催することを考えておりますし、内容も充実させたいと検討中です。

1月18日から25日までは、毎年のキリスト教一致祈祷週間です。東京教区では、1月18日(日)午後2時半から、東京カテドラル聖マリア大聖堂でエキュメニカル祈祷集会が行われ、司式をわたしが担当し、説教は日本キリスト教協議会の議長である吉高叶先生が担当されました。なお今年の全国の祈祷集会の情報などは、中央協議会のこちらをご覧ください

以下、17日午後6時配信、週刊大司教第240回、年間第二主日のメッセージです。

年間第二主日
週刊大司教第240回
2026年01月18日前晩

ヨハネ福音に記されている主の洗礼の出来事が、本日朗読されます。その中で、洗礼者ヨハネは、いま自分が洗礼を授けたイエスは、「世の罪を取り除く神の小羊」であって、イエスの誕生の理由が、罪にまみれた人類の救いのためであることを宣言します。

その上で洗礼者ヨハネは、自分の立場を明確にします。つまりイエスは、「私よりも先におられた」方であり、「この方がイスラエルに現れるため」に、自分は水の洗礼を授けてきたのだと語ります。つまりヨハネは、自分が理解したことを語り行っていたのではなく、神によってそうするようにと派遣の使命を受けていたのだということを証言しています。

すべからく預言者は自分の思いや言葉を語るのではなく、神から与えられた使命を果たすために語ります。教会は現代社会にあって預言者でありたいと願っています。再び来られる主イエスを迎えるために、道を備えるものでありたいと思っています。

教会は、自分の思いを伝えているのではありません。自分の考えを表明しているのでもありません。自分が褒め称えられるために行動するのではありません。すべては洗礼を通じてイエスの神性に与ったわたしたちに与えられた、イエスの福音を告げしらせるという使命を果たすためであります。わたしたち教会の語る言葉と行いで、主イエスが現存することを証ししようとしています。わたしたちが伝えるのは、自分ではなく、主イエスです。いのちを生きる希望の源、主イエスであります。

今年も1月18日から1月25日まで、キリスト教一致祈祷週間が行われます。東京でも18日に行われますが、各地でエキュメニカルな祈祷集会が企画されていることだと思います。

今年のテーマはエフェソ書4章4節から「からだは一つ、霊は一つです。それは、あなたがたが、一つの希望にあずかるようにと招かれているのと同じです」とされています。ここにもわたしたちが、希望の巡礼者としての歩みを続けるようにという招きが記されています

第二バチカン公会議以降、エキュメニズムという言葉で進められている一致運動では、様々な取り組みがなされています。教義の側面や神学的な対話は行われてきてはいますが、実際的にはやはり長年にわたって異なる道で信仰を守っていますから、具体的な組織の合同と言う一致は容易ではありません。しかし、社会のさまざまな問題に取り組む現場では、教団・教派の枠を超えて、互いに協力し合いながら活動することが当たり前になっています。つまり福音を生きる側面での一致はかなり進んでいるとも言えるかと思います。その現場での一致を、霊的な側面にいかに波及させるのかが課題の一つです。

同じ一つのからだ、一つの霊に与り、同じ希望に招かれている兄弟姉妹として、共に社会の中を歩みながら希望の福音を証しする巡礼者であり続けたいと思います。