大司教

週刊大司教第二百三十七回:待降節第四主日

2025年12月26日

待降節の最後の週に入り、まもなくクリスマスです。どうか良いクリスマスと、祝福に満ちた年末年始をお迎えください。

目黒教会では毎年恒例の降誕祭に向けたノベナミサ、シンバンガビが行われています。本来は早朝のミサということですが、日本の社会事情を考慮して、前晩、午後7時から行われます。わたしは12月15日月曜のミサを司式。翌日は教皇大使、三日目はアンドレア司教様です、その後、いろいろな神父様につながれて。降誕祭への準備が進められています。ミサは英語でしたので、主にフィリピン出身の皆さんを中心に、聖堂には一杯の方が集まり、ミサに与られました。

なおすでにご案内かと思いますが、聖年の閉幕ミサが、世界中の教区で、12月28日の聖家族の主日に捧げられることになっています。その後、1月6日、公現の祝日に教皇様が聖ペトロ大聖堂の聖年の扉を閉めることによって、聖年は正式に閉幕となります。このスケジュールは、聖年のはじめから決まっていたものです。

東京教区では、12月28日午後3時から東京カテドラル聖マリア大聖堂で、わたしが司式して閉幕ミサを行います。
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12月28日から1月6日までの間、つまり年始年末に聖年は終わっているのか続いているのか、お問い合わせがありますが、一応、それぞれの教区では12月28日で閉幕です。しかしながら、教会全体としては1月6日が聖年の最後の日です。ロゴやスタンプなどは、1月6日までとしてください。なお聖年のテーマソングを歌い続けること自体には何も問題ありませんので、ミサなどで使いたい場合は、遠慮なく歌ってください。聖年が1月6日の教皇様による閉幕の後であっても、歌っていただいて何も問題はありません。

以下、20日午後6時配信、週刊大司教第237回、待降節第四主日のメッセージです。

待降節第四主日
週刊大司教第237回
2025年12月21日前晩

降誕祭を目前にした今日、典礼は霊的な準備の仕上げをするかのように、わたしたちに「神は我々と共におられる」ことを、繰り返し伝えます。

イザヤの預言はまさしく「おとめが身ごもって、男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ」と記します。マタイ福音はこのイザヤの予言を引用しながら、イエスの誕生の次第を記しています。

神は、わたしたちと共におられます。神がわたしたちひとり一人と歩みを共にしてくださるのですから、当然神を信じるわたしたちは兄弟姉妹として、ともに歩みます。シノドス的教会です。ともに歩む神の民です。その中心には、インマヌエル、神が共におられます。

救い主の母となることを天使に告げられた聖母マリアが、その事実を冷静に受け止め、謙遜のうちにたたずみ、しかし同時に他者を助けるために行動したように、夫であるヨセフも、天使によって告げられた神の思いを受け止め、それに信頼し、謙遜のうちに行動します。この二人の謙遜さ、勇気、そして神への信頼における行動の選択があったからこそ、救い主の誕生が現実のものとなりました。

「天よ、露をしたたらせ、雲よ、義人を降らせよ。地よ開いて救い主を生み出せ」

今日の典礼の入祭唱に記されるイザヤ書の言葉は、わたしたちがもっとも待ち望んでいること、すなわち救い主の誕生を直接言及しています。主の降誕を待ち望んでいるわたしたちは、雲が露をこの地上にしたたらせるように、神の恵みがわたしたちを包み込み、そのわたしたちの間から救い主が誕生するのだと言うことを確信しています。

天から露のように降り注ぐ神の恵みは、それを受けた人の謙遜さ、勇気、信頼を通じた行動によって、初めて実を結びます。わたしたちの決断と選択と行動が伴わなければ、神が豊かに降り注がれているその恵みを、わたしたちは無駄にしてしまいます。神が人となられともに歩まれたように、わたしたちも既成の概念にとらわれることなく殻を破り、神がそうされたように、ともに歩み支え祈り合うこと、すなわちシノドス的な教会共同体を構成することが、まさしくいま求められています。

暗闇の中を希望を求めてさまようわたしたちは、一つのことを確信しています。それは、神がわたしたちとともにおられるという確信です。見捨てられることがないという確信です。神はご自分が愛を込めて創造された賜物であるいのちを見捨てることは決してない。常にわたしたちとともに歩んでくださる。旅する神の民の真ん中に、御聖体とみ言葉を通じて、主は現存される。その確信がわたしたちに希望をもたらします。共におられる神は、わたしたちの希望です、わたしたちは、その希望を掲げ分かち合うために巡礼の旅路を続ける、希望の巡礼者です。

間もなく降誕祭を迎えます。主がわたしたちと共にいてくださる事実を、降誕祭の喜びのうちにあらためて黙想し、主への信頼のうちに、その希望の光を暗闇の中でともに掲げて巡礼者としての旅路を歩み続けましょう。