大司教

週刊大司教第二百三十二回:年間第三十三主日

2025年11月17日

典礼の暦も終わりに近づいてきました。本日は年間第33主日です。

年間第33主日は、「貧しい人々のための世界祈願日」です。2016年、いつくしみの特別聖年が終わるにともない、教皇フランシスコは、「世界中のキリスト教共同体を、もっとも小さくされた人々ともっとも困窮している人々に向けられたキリストの愛のより具体的で大きなしるしとするために」この祈願日を設けることを提案され、2017年から教会の世界祈願日として行われています。

分断と排除が推し進められている世界の風潮に対して警鐘を鳴らし続けた教皇フランシスコは、経済的困窮のために人間の尊厳を否定され、社会から忘れ去られ、いのちの危機に直面する方々とともに歩むことの重要性を指摘し、こう言われました。

「もしキリストに会いたいと真に望むなら、聖体のうちに与えられる秘跡的な交わりへの応答として、わたしたちは貧しい人の傷ついたからだの中におられるキリストのからだに触れなければなりません」

困難に直面する人たちへの愛の奉仕は、わたしたちの自己満足のためではなく、その人たちとの出会いと分かち合いを通じて、キリストと出会うことであると、教皇は述べておられました。すべての人に与えられたいのちの賜物を、例外なくすべて護ることは、わたしたちの大切な使命です。

今年のレオ十四世のメッセージは、こちらのリンクからご覧いただけます。9回目となる今年の教皇メッセージは、詩編71篇からとられた「主よ、あなたはわたしの希望」をテーマとしています。

以下、15日午後6時配信、週刊大司教第232回、年間第33主日のメッセージです。

年間第33主日
週刊大司教第232回
2025年11月16日前晩

典礼の暦は待降節から新しく始まります。そこで暦の終わりのこの時期には、世の終わりについてかたるイエスの言葉に耳を傾けます。

世の終わりは一体いつ訪れるのか。世の終わりにおける主イエスの再臨を待ち望んでいるわたしたちにとって、関心のあることであろうと思います。しかしイエスは、社会の中で次々と起こる不安を深める状況に振り回されることなく、そういった諸々の不安を醸し出す出来事に振り回されないようにと忠告します。その上で、イエスは、「忍耐によって、あなた方はいのちを勝ち取りなさい」と諭します。

簡単に情報にアクセスできる昨今、不確実な情報に振り回されることも多くなりました。情報の流れを操作することで、一定の世論を生み出すこともできるようになりました。そのような時代だからこそ、振り回されることなく、時のしるしを読み取りながら、忍耐のうちにイエスの言葉に従い続け、真のいのちに到達できるように努めたいと思います。

第二バチカン公会議は、「時のしるし」を読み解き行動することを柱の一つに据えました。公会議を締めくくる「現代世界憲章」は、「現代の人々の喜びと希望、苦悩と不安、特に貧しい人々とすべて苦しんでいる人々のものは、キリストの弟子たちの喜びと希望、苦悩と不安でもある」と指摘した後に、教会は「つねに時のしるしについて吟味し、福音の光のもとにそれを解明する義務を課されている(4)」と記しています。「時のしるし」を福音の光に照らされて読み解くのは、わたしたちの務めです。

教会は年間第33主日を、貧しい人々のための世界祈願日と定めています。今年の教皇メッセージのテーマは、詩編71篇からとられた「主よ、あなたはわたしの希望」とされています。

この一年わたしたちが過ごしている聖年のテーマは「希望の巡礼者」ですが、教皇様はメッセージの中で、「人生の試練のただ中で、聖霊によって心に注がれる神の愛に対する堅固で力強い確信によって、希望は力づけられます。だから、希望は欺くことがありません」と、聖年の柱となるメッセージを繰り返しています。

その上で、「貧しい人々は、貧困、脆弱さ、疎外による不安定な生活条件の中で希望を告白するからこそ、力強く信頼できる希望の証人となることができます。彼らは権力や富の安定を当てにしません。・・・彼らは別のところに希望を置くしかありません。わたしたちも、神が第一の、また唯一の希望であることを認めることによって、はかない希望から、永遠の希望へと移ります」と呼びかけておられます。

教皇様は、貧しい人たちとの関わりは慈善事業ではなく、司牧活動の中心に貧しい人たちはおられ、「神は貧しい人々の貧しさを引き受けました。それは、彼らの声と物語と顔を通して、わたしたちを豊かにするためです。あらゆるかたちの貧困は、例外なしに、福音を具体的に生き、希望の力強いしるしを示すようにとの呼びかけです」と記されています。

教会共同体の取り組みの中心に誰がいるのか、見つめ直してみたいと思います。時のしるしを正しく読み取り、忍耐強いものでありたいと思います。