大司教
週刊大司教第二百三十一回:ラテラノ教会の献堂
2025年11月10日

9日の主日は、ラテラノ教会の献堂の記念日と重なります。ラテラノ教会とはローマ司教の司教座聖堂、すなわち教皇様のカテドラルの献堂の記念日ですので、主日に優先してお祝いされます。今日は特に教皇レオ十四世のためにお祈りいたしましょう。

11月6日夜から7日午後にかけて、上石神井にある日本カトリック神学院で神学院司教会議を行い、全国のほぼ全員の司教が神学院に集まり、神学院に一泊して神学生と交流し、ともに祈り、そして神学院の運営について話し合いました。神学生のために、また司祭修道者の召命のためにお祈りください。
以下、9日午後6時配信、週刊大司教第231回、ラテラノ教会献堂の主日のメッセージです。
ラテラノ教会の献堂
週刊大司教第231回
2025年11月9日前晩
11月9日はラテラノ教会の献堂の祝日です。今年は日曜日と重なりましたので、主日にこの献堂記念を祝うことになります。なぜならば、ラテラノ聖堂とは、教皇様のローマ司教としての司教座聖堂・カテドラルとして重要な意味を持っているからです。
普遍教会の牧者であるローマ教皇のカテドラル献堂を祝うことは、私たちの教会は、あたかも本店があって支店があるというような、本店であるローマの教会の支店が日本にあるということなのではなく、ひとりの牧者の下にどこにいても皆で一つの神の民を形成しており、それぞれの教会は一つの身体の部分なのだということを思い起こさせます。その意味で、ラテラノ教会の献堂の祝日はわたしたちにに、教会とはいったい何であるのかをあらためて考えさせる祝日です。
シノドスの道は、まさしくこの「教会とは何であるのか」をあらためて振り返ることをわたしたちに求めていました。教会は各地にある建物のことではなく、時の流れの中を共に旅する神の民であることをあらためて自覚し、神の民としてともに歩み、支え合い、耳を傾け合い、共に祈ることを通じて、聖霊の導きを識別することを目指しているのが、いま進められているシノドスの歩みです。それぞれの地方の教会は勝手に歩んでいるのではなく、皆が一つになって構成する神の民の一部分であることを自覚するためにも、その中心にある教皇様のカテドラルの存在を意識することは大切です。
この地上における目に見える組織としての教会は、同時に霊的な交わりとしての教会でもあり、さらには天上の教会ともつながれています。教会憲章の8項には、次のように書かれています。
「位階制度によって組織された社会とキリストの神秘体、目に見える集団と霊的共同体、地上の教会と天上の善に飾られた教会は、二つのものとして考えられるべきではなく、人間的要素と神的要素を併せ持つ複雑な一つの実在を形成している」
ですから教会共同体のありかたを、普遍教会のレベルでも地方教会のレベルでも、社会一般の価値観で定め、判断していくことは、必ずしもふさわしいことではありません。私たちは、様々な考え方や思想を持った人間ですが、同じ信仰において結ばれていることを心にとめて、自分の考えではなく神によって集められたものとして、互いの違いを乗り越えてキリストの神秘体を形作る努力をしなくてはなりません。わたしたちひとりひとりが教会です。ひとり一人が教会を構成するのです。日曜日に教会という建物に来たときだけわたしたちは教会の一員になるのではなく、信仰者として生きている限り、常にどこにあっても、わたしたちは大きな神の民の一部として教会に生きていくのです。
ヨハネ福音でイエスは、「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる」とユダヤ人たちに語ります。建物ではなくご自身そのものが神殿であることを明確にします。ですから教会は、復活されたイエスのからだであります。
その意味で、神の民を牧者として導く役割を主ご自身から託されたペトロの後継者である教皇様のために、この祝日には祈りを捧げましょう。わたしたちは教皇様とともに歩み、ともに主の身体を作り上げる神の民であります。