大司教

週刊大司教第二百十九回:年間第十八主日
2025年08月04日
年間第18主日です。すでに8月に入りました。暑さが続く中、皆さん体調は大丈夫ですか。わたしは今週はローマにおります。今年の聖年の中での青年の祝祭が行われており、ローマ市内は世界各国から集まった青年たちであふれかえっています。その中には日本からの60名近い青年たちもいます。東京よりは少しだけ涼しく、朝晩は心地よさも感じるローマですが、先週までは猛暑だったようで、ちょうどこの青年の祝祭にあわせて少し涼しくなってくれたようです。それでも十分暑い中、青年たちはローマ市内を徒歩で、またバスで、巡礼を続けています。
明日日曜日の午前中に行われる青年の祝祭のミサは、ローマ郊外にあるTor Vergataというところの競技場で、これは2000年の大聖年のときのWYDで教皇ヨハネ・パウロ2世のミサが行われた場所と聞いています。参加する青年たちは、今夜、土曜の夜は近隣で野宿だということです。同行している司祭や修道者のリーダーも、一緒に野宿だということ。100万人近くが集まるということなので、参加者の健康を祈ります。朝晩は涼しいとはいえ、ローマは真夏の暑さです。
ローマ市内の教会には、至る所で青年の祝祭のサイドイベントが、ありとあらゆる教会関係の団体によって行われており、聖堂内は涼しいこともあって、ローマ中の教会が青年たちであふれかえっています。
今週は、国際カリタスも、この聖年の行事にあわせて、サイドイベントを行っています。バチカン近くでブースを出して、現在行っている債務を希望に変えようというキャンペーンの署名を求め、青年たちがカリタスの活動に参加するようにアピールしています。
またこれにあわせて、すでに先週、世界各地から集まった青年たちの代表50名ほどによる交流行事が行われました。そして今週はその青年たちの中のリーダーたち25名ほどがローマに残り、国債カリタス本部の事務局職員も交えて、様々に交流を続けています。アジアからも、カリタスアジアの事務局、ミャンマー、シンガポール、韓国、香港などから青年のリーダーが参加しています。
この水曜日、7月30日の午後には、国際カリタス本部のあるサンカリスト宮殿隣にあるトラステベレの聖マリア聖堂で、青年たちのミサを行いました。わたしはその司式をさせていただきました。ミサ後にはサンカリスト宮殿(バチカンのローマ市内にある飛び地です)の中庭で、青年リーダーたちの交流会も行い、一緒に参加して、様々なゲームにも一緒させていただきました。
またわたしは、これに合わせて総合的人間開発省や福音宣教省、そして国務省とのカリタスの活動についての打ち合わせの予定が入りましたので、毎日動き回っています。なお広島での8月5日の平和祈願ミサを司式することにもなっているので、それまでには日本に戻ります。
以下、2日午後6時配信、週刊大司教第219回、年間第18主日のメッセージです。
年間第18主日
週刊大司教第219回
2025年8月3日前晩
今年は2015年に教皇フランシスコが、回勅「ラウダート・シ」を発表してから10年となる節目の年です。司教団のラウダート・シ部門でも、9月の「すべてのいのちを守るための月間」に、エコロジカルな霊性をテーマとしたシンポジウムを計画していると聞いています。
またアジア司教協議会連盟(FABC)は、中央委員会が開催された今年の3月15日付けで、「被造界のケアについて、エコロジカルな回心の呼びかけ」と言う文書を発表し、アジアの教会に今一度「ラウダート・シ」の精神を振り返るように呼びかけています。
この呼びかけの中でアジアの司教たちは、「人間的な無関心、虐待、乱開発の重荷により被造界が」苦しんでいるいくつかの事例を掲げた後に、「この聖年という時期にあたり、こうした苦難は、わたしたちが悔い改め、回心し、神の創造のみわざの管理者としての共同責任をより堅固な決意をもって引き受けるよう」呼びかけています。
教皇フランシスコは「ラウダート・シ」において、「神とのかかわり、隣人とのかかわり、大地とのかかわり」が引き裂かれることが罪なのだと語る中で、こう記していました。
「わたしたちがずうずうしくも神に取って代わり、造られたものとしての限界を認めることを拒むことで、創造主と人類と全被造界の間の調和が乱されました」(66)
罪の状態の根源にあるのは、人間の思い上がりと、関係の断絶です。
ルカ福音は、自らのために蓄財しようと、新しく大きな蔵を建てようとしている金持ちのたとえ話を記しています。この世の価値観の典型である自分のための蓄財行為に対して、神は「愚か者よ、今夜お前の命は取り上げられる」と、あたかも自分のいのちをコントロールするのは自分自身であるかのように錯覚している人間に対して、その思い上がりを指摘します。まさしく、「図々しくも神に取って代わり、造られたものとしての限界を認めることを拒む」この人間の行動は、神の前の真の豊かさとは無縁であります。
環境破壊に限らず、神からの究極の賜物であるこのいのちに対する暴力的な攻撃のすべては、あたかもこの世界をコントロールするのは自分だという思い込みに支配され、この世の富と繁栄に目と心を奪われ、結果として神との関係を断絶し、隣人との関係を断絶し、被造界との関係を断絶するわたしたちの慢心にその源があります。
その意味で「ラウダート・シ」に記された環境問題への教会の取り組みとエコロジカルな回心の勧めは、環境問題にとどまることなく、この世界に神の秩序を打ち立てること、すなわち平和の確立にも繋がります。
今週は8月6日の広島の原爆忌から始まり、8月9日の長崎を経て、8月15日まで、日本の教会は平和旬間を迎えます。平和を求めることは、この共通の家である地球を大切にし、神との関係、隣人との関係、被造界との関係を正しく戻そうとする行動でもあります。
教皇レオ十四世の、7月9日のカステル・ガンドルフォでのミサ説教の言葉です。
「被造物を守り、平和と和解をもたらすというわたしたちの使命は、イエスご自身の使命です。それは、主がわたしたちにゆだねた使命です。わたしたちは地の叫び声を聞きます。貧しい人々の叫び声を聞きます。・・・わたしたちのわざは、神のわざです。」
与えられた使命を謙遜に忠実に果たすものでありましょう。