大司教

週刊大司教第二百十五回:年間第十四主日
2025年07月07日
先日6月30日の月曜日、毎年恒例の司祭の集いのミサが東京カテドラル聖マリア大聖堂で捧げられました。東京教区の歴代の教区司教は、土井枢機卿、白柳枢機卿、岡田大司教と、お三方ともペトロが霊名であったこともあり、聖ペトロと聖パウロの祝日に近い月曜に、教区司教のお祝いのミサを行ってきたと伺いました。
わたしの霊名がペトロではないことから、この数年は、その年にお祝いを迎える司祭叙階の記念者(金祝や銀祝)をお招きして、司祭の集いのミサを捧げています。
今年は、該当者の中から、イエズス会の岩島神父様、フランシスコ会の小西神父様、アウグスチノ会の柴田神父様がお祝いに参加してくださいました。また大阪万博のバチカンナショナルデーに参加するために、日本政府からの招聘で来日中であったバチカン国務長官であるパロリン枢機卿様も、ミサに臨席くださり、その後、東京教区で働く司祭団と昼食を一緒にしながら、しばし歓談してくださいました。この日は、朝大阪から移動され、午後には首相など公人に会う政府関連の公式行事もありましたが、教区の行事にも参加するための時間を空けてくださったパロリン枢機卿とモリーナ教皇大使に、感謝です。
7月1日と2日には、千葉県の白子で、東京教会管区の年次会議が行われました。札幌、仙台、新潟、さいたま、横浜、東京から、教区司教と事務局長や総代理などが集まり、情報交換の一時を持ちました。二日目の午前には白子にある聖バチルド・ベネディクト白子修道院を訪問し、ミサを捧げて、修道院のシスター方と祈りの時を一緒にすることができました。
以下、5日午後6時配信、週刊大司教第215回、年間第14主日のメッセージ原稿です。
年間第14主日
週刊大司教第215回
2025年7月6日前晩
ルカ福音は、「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい」というイエスのことばを記しています。
このことばを耳にするたびに、「働き手が少ない」という部分は切実な現実の問題として実感させられるのですが、「収穫は多い」というのはどういう意味だろうと考えさせられます。
長年にわたって日本の地で福音は告げ知らされてきました。禁教と迫害の時代を挟んでいるとはいえ、日本における福音の種はすでに1549年から蒔き続けられてきました。救いの道を切り開く福音宣教は、徹底的に人間の業ではなくて神御自身の業であります。もちろん福音宣教は人の業として、時に殉教者の血に支えられながら、日本の地で続けられてきました。しかし福音宣教は徹底的に神ご自身の業であります。ですから、いつくしみそのものである御父は、ありとあらゆる手段を講じて、一人でも多くの人を救いに与らせようとさ、福音の種をまき続けておられます。
それはわたし達人間の成し遂げる業績でもありません。神様は自ら種を蒔き、すでに豊かな実りを用意されています。人間の常識からすれば、諸々の困難が社会の現実にはあり、どう見ても福音を告げ知らせることができない状況だと感じさせられたとしても、主御自身はすでに実りを用意されており、不足しているのはそれを見いだし、刈り取るわたし達働き手であります。
福音には主が72人を任命し、「ご自分が行くつもりの全ての町や村に2人ずつ遣わされた」と記されていました。福音を告げるようにと遣わされた宣教者は、神の支配の確立である平和を告げしらせ、その告知は病人のいやしという具体的な行動を伴っていたことが記されています。同時に福音を告げるようにと遣わされることはたやすいことではなくて、「狼の群れに小羊を送り込むようなもの」と主ご自身が言われるように、いのちの危機をも意味する数多の困難を伴う生き方です。まさしく主ご自身が十字架を持って具体的にあかしをされたように、福音を告げしらせることも命懸けの具体的な愛のあかしの行動であります。しかし同時にそれは、主がすでに用意された実りを見いだし、刈り取るための作業でもあります。わたし達はありとあらゆる困難に直面しながらも、見いだし刈り取る者としての務めを果たさなくてはなりません。それが、召命です。
信仰者は、すべからく福音を告げるようにと派遣されています。わたしたち全てが、福音宣教者として派遣されています。働き手は誰かではなく、わたしです。
召命を語ることは、ひとり司祭・修道者の召命を語ることにとどまるのではなく、すべてのキリスト者に対する召命を語ることでもあります。司祭・修道者の召命があるように、信徒の召命もあることは、幾たびも繰り返されてきたところです。
互いに耳を傾けあい、互いに支え合い、互いに道を歩み続ける弟子の姿は、今共に道を歩む教会に変わろうとしているわたしたちへの模範です。福音をあかしするシノドスの道を、ともに歩みながら、実りを見いだし刈り取る者としての務めを果たして参りましょう。