大司教

週刊大司教第二百十二回:三位一体の主日
2025年06月17日
聖霊降臨の次の主日は、三位一体の主日です。
前の記事にも投稿しましたが、先日、国際カリタスが南山大学から人間の尊厳賞をいただきました。下の写真が、その際にいただいた記念の盾です。記念の盾に刻まれているのは、キャンパス内に実際にある上の写真の十字架です。ありがとうございます。
6月8日の聖霊降臨の主日には、午後2時半から、東京カテドラル聖マリア大聖堂で、教区合同堅信式が行われました。
今年は52名の方が堅信の秘跡を、わたしとアンドレア補佐司教様から受けられました。復活徹夜祭や復活祭に行われる成人洗礼の場合は、特段の理由がない限り、洗礼と聖体と堅信の三つの秘跡を同じ日に受けていただくようにしています。幼児洗礼の場合は、年齢の歩みとともに、洗礼から始まり、初聖体、そしてある程度の年齢になってからの堅信と続きます。
そのようなわけで、今年の堅信を受けた皆さんの多数は、小学校高学年から中学生や高校生が多く見られました。堅信を受けたみなさん、おめでとうございます。
以下、14日午後6時配信、週刊大司教第212回目、三位一体の主日のメッセージです。
三位一体の主日
週刊大司教第212回
2025年6月15日前晩
教皇レオ十四世は、5月18日にサンピエトロ広場で行われた就任のミサの説教で、「愛と一致」こそが、ペトロの後継者として主ご自身から自分に託された使命の二つの次元であると述べられました。
その上で教皇は、「ローマ司教は、キリスト教信仰の豊かな遺産を守ると同時に、現代の問い、不安、課題に立ち向かうために、遠くを見ることができなければなりません。皆様の祈りに伴われて、わたしたちは聖霊の働きを感じました。聖霊はさまざまな楽器を調律し、わたしたちの心が一つの旋律をかなでることができるようにしてくださいました」と、コンクラーベに集まった133名の枢機卿たちに、確実に聖霊の導きがあり、その実りは、愛と一致に神の民を導くのだと指摘されています。
教皇選挙に先立つ枢機卿会で、多くの枢機卿が教皇に求められる役割として、信仰の遺産を確実に明確に伝える霊性の深さと、現代社会の要請に応えるために司牧の豊かな経験と、さらにはこの世の組織を運営するに長けた能力を持つことを求めました。教皇宣教が始まる時点で、誰もそのすべてを兼ね備えた枢機卿は存在しないと思っていましたが、聖霊はしっかりと働き、四回目の投票で選ばれたレオ十四世こそは、そのような資質をすべて兼ね備えた人部でした。
わたしたちは御父によっていのちを与えられ、救いの道をイエスによって与えられ、この世界で聖霊によって導かれて歩みを共にします。わたし達の信仰は、三位一体の神に基づいた共同体の信仰です。ですからわたしたちは、「父と子と聖霊のみ名によって」洗礼を受けます。
わたしたちを「導いて真理をことごとく悟らせる」聖霊が、「わたしのものを受けて、あなた方に告げる」と、ヨハネ福音は主イエスの言葉を記します。その「わたしのもの」とは、「父が持っておられるものはすべて、わたしのものである」と主ご自身が言われるのですから、わたしたちは、三位一体の神の交わりの中で、聖霊に導かれて御子に倣い、御父へと結びあわされています。
カテキズムはそれを、「御父の栄光をたたえる者は、御子によって聖霊のうちにそうするのであり、キリストに従う者は、その人を御父が引き寄せ、聖霊が動かされるので、そうするのです」と記します(259)。
わたしたちは共同体で生きる教会であるからこそ、教会共同体は、三位一体の神をこの世に具体的に顕す共同体であるよう務めなくてはなりません。それを実現しようとしたのが、教皇フランシスコが力強く導かれたシノドスの道です。わたしたちは共に支え合い、耳を傾け合い、共に祈り、聖霊の導きを識別することで、この世界の現実の中で、三位一体の神の存在を具体的にあかしする共同体となります。
そもそもわたしたちの信仰が三位一体に基づいているからこそ、わたしたちには教会共同体が必要であり、信仰を一人孤独のうちに生きることはできません。父と子と聖霊のみ名によって洗礼を受けた瞬間に、わたしたちは三位一体の神の交わりの中で、教会共同体の絆に結びあわされるのです。わたしたちの信仰は、共同体の交わりにおける絆によって生かされる信仰です。
主イエスご自身に倣い、御父の願いを具体的に実現するために、聖霊の導きに身を委ね、共同体の交わりの中で、信仰を生きていきましょう。この世界に「愛と一致」をもたらすものとなりましょう。