大司教

週刊大司教第二百十一回:聖霊降臨の主日

2025年06月09日

聖霊降臨の主日となりました。

主日の午後には、東京カテドラル聖マリア大聖堂で、合同堅信式が行われます。堅信の秘跡を受けられる53名の皆さん、おめでとうございます。

堅信式の様子などは、また別途記します。

6月は「みこころの月」と言われます。「みこころ」は、主イエスの心のことで、以前は「聖心」と書いて「みこころ」と読んでいました。イエスのみこころは、わたしたちへのあふれんばかりの神の愛そのものです。十字架上で刺し貫かれたイエスの脇腹からは、血と水が流れ出たと記されています。血は、イエスのみこころからあふれでて、人類の罪をあがなう血です。また水が、いのちの泉であり新しい命を与える聖霊でもあります。キリストの聖体の主日後の金曜日に、毎年「イエスのみこころ」の祭日が設けられ、今年は月末の6月27日となっています。

みこころの信心は、初金曜日の信心につながっています。それは17世紀後半の聖女マルガリータ・マリア・アラコクの出来事にもとづく伝統であります。聖体の前で祈る聖女に対して主イエスが出現され、自らの心臓を指し示して、その満ちあふれる愛をないがしろにする人々への悲しみを表明され、人々への回心を呼びかけた出来事があり、主はご自分の心に倣うようにと呼びかけられました。そしてみこころの信心を行うものには恵みが与えられると告げ、その一つが、9ヶ月の間、初金に聖体拝領を受ける人には特別なめぐみがあるとされています。イエスは聖女に、「罪の償いのために、9か月間続けて、毎月の最初の金曜日に、ミサにあずかり聖体拝領をすれば、罪の中に死ぬことはなく、イエスの聖心に受け入れられるであろう」と告げたと言われます。

1856年に教皇ピオ9世が「イエスのみこころ」の祭日を定められました。

以下、7日午後6時配信、週刊大司教第211回、聖霊降臨の主日のメッセージです。

聖霊降臨の主日
週刊大司教第211回
2025年6月8日前晩

先日行われた教皇選挙、コンクラーベに参加し、新しい教皇レオ十四世を選出した133名の枢機卿たちは、システィナ聖堂で投票を続ける中で、聖霊の働きを実感していました。

教皇選挙は、「選挙」とは言うものの、いわゆる政治的な駆け引きの場ではありません。教皇選挙を前にして連日行われた枢機卿の総会で、教皇選挙とは、たぐいまれな才能と霊性を持って力強く教会を導いた教皇フランシスコの後継者を選ぶ作業なのではなく、イエスが最初の牧者として神の民を託した使徒ペトロの後継者を選ぶ祈りの時なのだと、多くの枢機卿が感じていました。すなわち、枢機卿たちは良い選挙ができるように聖霊の導きを祈っていたのではなく、すでに主ご自身が選ばれているはずのペトロの後継者を、わたしたちの間から見いだすための識別の賜物を願って祈っていました。

枢機卿の総会を終えて、133名の有権枢機卿がシスティナ聖堂に入ったとき、一体その中の誰が本当にペトロの後継者として選ばれているのかを分かっていた枢機卿は誰もいませんでした。しかし聖霊に導かれて投票を続ける中で、最後に三分の二を超えて選出されたプレボスト枢機卿のこれまでの人生を見たとき、わたしを含めて多くの枢機卿が、確かに聖霊に導かれた彼にたどり着いたと感じたはずです。

というのも、事前の枢機卿の総会では、次の教皇には、司牧の現場に精通し、同時に組織の運営に長けており、さらには深い霊性を持った人物がふさわしいという意見で多くが一致している中、そのような資質を持った人物などいないという諦めも感じていました。しかし教皇レオ十四世こそは、ペルーでの長年の宣教師としての働き、修道会の総長や司教としての働き、さらにはバチカンでの働きと、必要だと言われた経験を十分に持ち、アウグスチノ会という修道会の霊性にも通じています。主は自ら選ばれ、聖霊を通じてわたしたちがプレボスト枢機卿に到達するように導いてくださいました。

「聖霊来てください。あなたの光の輝きで、わたしたちを照らしてください」

聖霊降臨の主日に、福音の前に歌われる聖霊の続唱は、この言葉で始まります。教会は聖霊によって誕生し、聖霊の働きによって育まれ、聖霊の導きによって歩み続けています。

「聖霊は教会の中に、また信者たちの心の中に、あたかも神殿の中にいるかのように」住んでいると指摘する第二バチカン公会議の「教会憲章」は、聖霊は「教会をあらゆる真理に導き、交わりと奉仕において一致させ、種々の位階的たまものやカリスマ的たまものをもって教会を教え導き、霊の実りによって教会を飾る」と教えています。その上で、「聖霊は福音の力をもって教会を若返らせ、たえず新たにし、その花婿との完全な一致へと導く」とも記し(4)、教会は、「キリストを全世界の救いの源泉と定めた神の計画を実現するために協力するよう」、聖霊から迫られているとまで記します(17)。

聖霊の導きに信頼し、神の道をともに歩むことができるように、祈りのうちに身を任せましょう。

常にわたしたちの間で働かれる聖霊の導きに、心から信頼する共同体でありましょう。