大司教

週刊大司教第二百十回:主の昇天の主日
2025年06月02日
この一ヶ月ほどは、教皇フランシスコの帰天に始まり、続いて葬儀、教皇選挙、レオ十四世の誕生、さらには以前から予定されていたメキシコでの国際カリタス理事会と、予定外のプログラムを含めて一ヶ月近く海外へ出ていることが続いたため撮影ができず、週刊大司教を一回お休みさせていただきました。申し訳ありません。今週からまた再開です。今週の週刊大司教が210回目となります。
なお2020年11月7日に第一回目を配信してはじまった「週刊大司教」ですが、過去のすべてのビデオは、こちらのリンクの東京大司教区のYoutubeアカウントからご覧頂けます。
主の昇天の主日となりました。
教皇フランシスコの回勅「ラウダート・シ」が発表されてから10年となりました。単なる環境問題への取り組みにとどまらず、わたしたち被造物のふさわしいあり方を問いかけ回心を促すこの回勅は、いままだ解決の糸口さえ見いだされていない地球の様々な問題を目の当たりにするとき、決して時間とともに色あせていくような内容ではありません。
この課題に真摯に取り組むために、司教協議会には啓発活動をするための、「ラウダート・シ」デスクが設けられています。こちらのホームページをご覧ください。
またわたしが事務局長を務めているアジア司教協議会連盟(FABC)では、3月にバンコクで行われた中央委員会の際に、FABC司牧書簡を発表しています。この書簡のタイトルは、「アジアの地方教会へ――被造界のケアについて。エコロジカルな回心への呼びかけ」です。邦訳が中央協議会のサイトに掲載されていますので、どうぞご一読ください。
以下、5月31日午後6時配信、週刊大司教第210回、主の昇天の主日のメッセージです。
主の昇天の主日
週刊大司教第210回
2025年6月1日前晩
使徒言行録は、弟子たちに対して天使が、「ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか」と語りかけたと記します。死を打ち破って復活された栄光の主が、自分たちから去って行く。残されたわたしたちはどうなるのだと、呆然として弟子たちはたたずんでいたのでしょう。
この天使の呼びかけは、諦めと失望のうちに呆然と立ち尽くすのではなく、イエスが再び来られることを確信しながら、その日まで、イエスから託された使命を果たして生きよという、弟子たちの行動を促す言葉であります。
イエスから託された使命とは何でしょうか。ルカ福音も使徒言行録もともに、「地の果てに至るまで、わたしの証人となる」というイエスの言葉を記します。語るのは自分の考えではありません。自分の才能を披露することでもありません。聖霊に導かれて、イエスが何を語ったのか、何を成し遂げたのか、その言葉と行いについて、世界中のすべての人に向かって語ります。それこそが証しの行動です。すなわち福音宣教であります。だから弟子たちは、イエスが天に上げられた後に、喜びに満たされて、「エルサレムに帰り、絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた」と記されています。隠れているのではなく、多くの人に向かって証しを続けたのです。
そして、現代社会の中で生きている弟子というのは、福音を信じているわたしたち一人ひとりのことであります。現代社会に存在するありとあらゆるコミュニケーションの手段を駆使して、ひとりでも多くの人に、イエスの証しを届けていく者でありたいと思います。
2015年5月24日に教皇フランシスコの回勅「ラウダート・シ」が発表されたことを受けて、毎年5月末には「ラウダート・シ週間」が設けられ、教皇フランシスコが呼びかけた総合的エコロジーの視点から、わたしたちの共通の家である地球を守るための道を模索し、行動を決断するように招かれています。
今年の「ラウダート・シ週間」は、ちょうど昨日まで、5月24日から31日までとされていました。今年は回勅が発表されてから10年という節目の年であり、同時に「希望の巡礼者」をテーマとした聖年の真っ最中です。そこで今年の「ラウダート・シ週間」もそのテーマを、「希望を掲げて」としていました。新しい教皇レオ十四世も、教皇フランシスコの始められたともに歩む道を、同じようにともに歩み始めています。そのペトロの使徒職のはじめから、平和と対話の大切さを説き続けています。わたしたち神からいのちを賜物として受けたものが、共に生きる家を守り抜き、託された使命を果たし、ともに歩んでいくことができるように、ともに務めていきたいと思います。