大司教

週刊大司教第二百七回:復活節第三主日

2025年05月07日

復活節第三主日になりました。

現在進行中の教皇選挙コンクラーベについては別途後刻にできる範囲で記します。秘密保持の宣誓をしますので、投票の内容についてお話しすることはできません。また事前に行われている枢機卿総会(投票権を持つ枢機卿と80歳を超えている枢機卿のすべてが参加)の内容も、一部マスコミに漏れていますが、秘密保持の宣誓をしていますので、詳らかにすることはできません。基本的には、教会の現状を見つめ直し、財政について報告を受け、次の教皇に必要な情報を分かち合う場になっています。

投票の開始は5月7日となりました。この日は、午前中に投票権を持った枢機卿団でミサを捧げ、夕方から全員が聖歌を歌いながらシスティナ礼拝堂に入堂し、一人ずつ宣誓を行った上で、最初の投票が行われます。投票権者の三分の二の得票が必要ですので、この一回目で決まることはないと言われています。その後、翌日からは、一日に四回の投票が行われます。現時点で、135名の有権枢機卿のうち、2名が病気のために欠席、そしてまだお二人の枢機卿がローマに到着していません。

どうか、教会の進むべき道を見いだすよりふさわしい牧者が選ばれますように、聖霊の導きをお祈りください。お願いいたします。

以下、3日午後6時配信、週刊大司教第207回、復活節第三主日のメッセージです。

復活節第三主日
週刊大司教第207回
2025年5月4日前晩

復活されたイエスは、自らの言葉と行いで、弟子たちの記憶を呼び覚まし、ご自分が復活の主であると証ししていきます。

漁に出たものの何もとれずに一晩を過ごした弟子たちに、網が破れんばかりの大漁という驚くべき出来事と、食事を一緒にしパンと魚を分け与えることを通じて、十字架の上での死を迎える前に、弟子たちが主イエスと共にいる中で体験した記憶を呼び覚まします。復活の主における永遠のいのちへの希望を確信した弟子たちは、勇気を持ってイエスと同じように、言葉と行いで、希望への道を証しする旅路を歩み始めました。

イエスが捕らえられたあと、三度にわたってイエスを知らないと否んだのはペトロでした。復活されたイエスは、同じく三度にわたって、「私を愛しているか」と尋ねたことをヨハネ福音は記します。ペトロは三度、「わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と応えます。

イエスは、自分を捨てて、自分の十字架を背負って従うことを求めていました。いざというときに三度にわたって逃げようとしたペトロに対して、イエスは三度にわたって命を賭けてまで神を愛するのかと問いかけます。三度目の問いかけでペトロは始めてイエスのその切々たる思いを心に感じ、「主よあなたは何もかもご存じです」と応えています。このときペトロはイエスに身を委ねることで、初めてイエスに生かされて希望のいのちの中に生きることが可能となりました。

わたしたちはイエスに従うものでありたいと願っています。それは書かれた教えや規則に忠実であることだけでは到達できません。もちろん知識は重要です。約束事も重要です。しかしそれだけでは足りないのです。

生きるか死ぬかのいざというときに、知識はあまり役に立ちません。わたし自身も、ちょうど30年前のルワンダ難民キャンプで体験しました。武装集団が難民キャンプを襲撃した銃撃戦の中で、「友のために命を捨てる、それ以上の愛はない」と言うイエスの言葉を知識で知っていても、恐怖は積極的な行動を抑制しました。そのときに力を発揮するのは、何に身を委ねているのかであると、そのときにつくづく感じました。

ペトロがそうであったように、イエスご自身に完全に身を委ねることができたとき、つまりわたしたちが自分の弱さを認めたときに、初めて福音があかしされるのです。わたしがその道具となることができるのです。伝えるのは私の思いではありません。わたしたちが伝えるのは、希望のうちにわたしたちを生かしてくださる主の言葉と行いです。