大司教

週刊大司教第百九十九回:年間第八主日

2025年03月03日

今年は復活祭が遅く、4月20日ですので、3月に入ってもまだ、典礼では年間の主日が続きます。今年の四旬節は、3月5日の灰の水曜日から始まります。

教皇様の容態は、徐々にではありますが回復に向かっていると伝えられていますが、まだ危険な状況であることに変わりはない模様です。入院が続いています。どうぞ教皇様のために、全世界の兄弟姉妹とともに続けてお祈りください。

また教皇様が入院したことを受けて、インターネット上では様々な偽物の情報が飛び交っています。すでに帰天されたと主張する偽情報もありました。わたしたちの生命は神様の御手の中にあります。それを忘れた不遜な言動は慎みたいと思います。

以下、3月1日午後6時配信、週刊大司教第199回、年間第8主日メッセージです。
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年間第8主日
週刊大司教第199回
2025年3月2日前晩

希望の巡礼者として聖年を歩んでいるわたしたちに、ルカ福音は、「木は、それぞれ、その結ぶ実によって分かる」と語りかけます。

わたしたちは、現代社会にあってどのような実を結んでいるのでしょうか。希望の巡礼者であるわたしたちは、まさしく希望そのものを具体的に表すしるしとなることが求められています。

教皇様は大勅書「希望は欺かない」において、「聖年の間にわたしたちは、苦しい境遇のもとで生きる大勢の兄弟姉妹にとっての、確かな希望のしるしとなるよう求められます」と呼びかけておられます。良い木としてわたしたちが結ぶ実は、希望のしるしです。

先般教皇様は合衆国の司教たちに書簡を送られ、その中で、「出エジプト記に記されているイスラエルの民の奴隷から自由への旅路は、現代社会において移住という現象によってはっきりと示される現実を、常にわたしたちの身近におられ、受肉され、移住者であり、難民である神への信仰においてだけではなく、すべての人間の犯すことのできない神秘的な尊厳を再確認するための歴史的決定的な瞬間として見つめるよう招いている」と指摘して、その立場にかかわらず人間の尊厳を守ることの重要性を強調されています。

その上で教皇様は、それぞれの国家が自らの治安を守る責務の重要性を認めながらも、「促進されなければならない真の愛の秩序は、「善きサマリア人」のたとえ話を絶えず黙想することによって、例外なくすべての人に開かれた兄弟愛を築く愛について黙想することによって発見されるものだ」と呼びかけます。

不寛容さが支配し、利己主義の蔓延する社会にあって、教会は排除することのない愛の証しとして、また徹底的に人間の尊厳を守る存在として、希望のしるしとなることが求められてます。

わたしたちが語る言葉は、わたしたちの心の反映です。わたしたちの行動は、わたしたちの心の鏡です。福音は、「人の口は,心からあふれ出ることを語るのである」と記します。それはすなわち「木は、それぞれ、その結ぶ実によって分かる」という言葉に集約されます。わたしたちはどのような実を結ぶ木なのでしょうか。

同時にルカ福音は、「兄弟の目にあるおがくずは見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか」と語るイエスの言葉を記します。どれほどわたしたちは、自らの身を振り返ることなく,他者を裁いていることでしょうか。他者を裁き断罪するとき、わたしたちは時に大きな思い違いをしてはいないでしょうか。自分も同じように、過ちを犯す人間である。弱さを抱えた人間であるということを、忘れてはいないでしょうか。

社会の現実の中にあって、希望のしるしとして歩みを続けていきましょう。