大司教
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週刊大司教第百九十五回:主の奉献の主日
2025年02月03日
2月2日は主の奉献の祝日です。今年はちょうど日曜日と重なり、主の奉献の主日となりました。
1997年に教皇ヨハネ・パウロ二世は、この日を奉献生活者の日と定められています。この日に合わせて奉献生活者のミサが各地で行われますが、東京でも男女の修道会管区長総長会の主催で、聖イグナチオ麹町教会で、2月1日午後2時からミサが行われました。ミサの中では、誓願宣立10周年を迎えられた奉献生活者のお祝いも行われました。
教皇ヨハネ・パウロ二世は、1997年の最初の奉献生活者の日のメッセージに、その目的は三つあると記しています。
「第一に、より荘厳に主を賛美し、奉献生活という偉大な賜物に対して主に感謝したいというわたしたちの内なる願いに応えることです。奉献生活は、その多様なカリスマと、神の国のために完全に捧げられた多くの方の生き方によって生み出された輝かしい実りによって、キリスト者共同体を豊かにし喜びを与えます」
「第二に、この日は、神の民全体が奉献生活についての知識を深め、それを評価することの促進を目的としています」
「第三の理由は奉献生活者に直接関係するものです。奉献生活者は、主が彼らの中で成し遂げた素晴らしい業を荘厳に共に祝い、より深められた信仰によって、聖霊が彼らの生き方に輝かせている神の美しさを発見し、教会と世界における彼らのかけがえのない使命をより鮮明に自覚するよう招かれています」
時代の流れの中で、そして世界各地のそれぞれの社会状況の中で、最もふさわしい方法で福音をあかしして生きるために、奉献生活者の生き方も変化を続けています。少子高齢化が激しく進み世俗化が深まる日本のような国では、奉献生活の道を選択する若者も減少しています。その現実の中にあっても、教会は奉献生活者の生きる姿を通じた福音の証しに意味を見いだしています。あらためて奉献生活に生きる道について、わたしたちの理解を深め、その道に生きる人たちのために祈りを捧げたいと思います。
また2月3日は福者高山右近、そして2月5日は日本26聖人殉教者と、日本の教会の歴史にとって重要な殉教者の記念日が続きます。2月2日の主日に、墨田区にある本所教会では長年にわたって26聖人殉教祭を行っていますが、今年も、本所教会10時のミサを、わたしが司式させていただきます。
一番上の写真は、2017年に大阪で行われた高山右近の列福式です。教皇様の代理として司式してくださったのは当時の列聖省長官、アマート枢機卿様でした。アマート枢機卿様は12月31日に帰天されました。永遠の安息をお祈りいたします。
以下、1日午後6時配信、週刊大司教第195回目、主の奉献の主日メッセージ原稿です。
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主の奉献の主日
週刊大司教第195回
2025年2月2日前晩
ルカ福音は、誕生から40日後に、「モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき」、両親によってイエスがエルサレムの神殿において神に捧げられた時の様子を記しています。
教皇フランシスコは、2022年の主の奉献の主日ミサ説教で、こう言われています。
「シメオンは「霊に動かされ」(27節)、神殿に向かいます。この場面では聖霊が主役です。・・・聖霊はシメオンに神殿に行くように促し、彼の目に幼く貧しい赤ん坊の姿であってもメシアを認識させるのです。聖霊はこのように働きます。偉大なもの、外見、力の誇示ではなく、小ささ、弱さの中に神の現存と行いを見分けることができるようにしてくれるのです」
「聖霊が主役です」と言うことばは、シノドス性を問いかけるシノドスの総会の最中に、教皇様がしばしば繰り返されたことばでもあります。教皇様はさらにこの説教で問いかけます。
「私たちを後押ししているものは何なのでしょうか。私たちを前進させ続ける愛とは何でしょうか。聖霊でしょうか、それともその時々の情熱でしょうか、それとも他の何かでしょうか」
わたしたちも聖霊の導きを常に識別し、シメオンのように正しい道を選択するものでありたいと思います。
聖家族と出会ったシメオンは、奉献された幼子イエスこそが「救い」であり、「異邦人を照らす啓示の光」であると宣言します。同時にシメオンは、その人生の道のりが苦難に満ちあふれていることも宣言し、母マリアに対して「あなた自身も剣で心を刺し貫かれます」と述べ、イエスの救いのわざに聖母が常に伴うことを示しています。神に自分自身を捧げることは、同時に、他者の救いのために、自らが苦しむ道を選択することでもあります。
主の奉献の主日は、教会における奉献生活者の存在に目を向ける日でもあります。奉献生活者とは、いわゆるシスターやブラザーや他の名称でわたしたちが親しみを込めて呼ぶ、修道生活を営んでいる方々です。
教皇ベネディクト16世は使徒的勧告「愛の秘跡」において、「教会が奉献生活者から本質的に期待するのは、活動の次元における貢献よりも、存在の次元での貢献です」という興味深い指摘をされています。教皇は、「神についての観想および祈りにおける神との絶えざる一致」こそが奉献生活の主要な目的であり、奉献生活者がそれを忠実に生きる姿そのものが、「預言的なあかし」なのだと指摘されています。
その意味で、教皇ヨハネ・パウロ二世が、使徒的勧告「奉献生活」の中で、「他の人々がいのちと希望を持つことが出来るために、自分のいのちを費やすことが出来る人々も必要です」と述べて、奉献生活が、「教会の使命の決定的な要素として教会のまさに中心に位置づけられます」と指摘するところに、現代の教会における奉献生活者の果たす重要な役割を見いだすことができます。
奉献生活には、様々な形態があり、修道会や共同体には、それぞれ独自のカリスマとそれに基づいた活動があります。世俗化と少子高齢化が進む社会では、多くの修道会が召命の危機に直面していますが、その中にあっても、わたしたちは何をしたいのかではなくて、どう生きたいのかを見極め、常に聖霊によって導かれているのかどうかを、見極めるものでありたいと思います。それはすべての信仰者の務めです。