大司教
週刊大司教第百八十八回:待降節第二主日
2024年12月10日
待降節第二主日です。
この数日間わたしは、12月7日夕刻に開催される枢機卿会に出席するため、ローマに滞在し、準備をしております。枢機卿としてこれからどのような形で普遍教会に寄与することができるのか分かりませんが、これまで通り、まず第一の務めである東京教区の教区大司教としての役割を忠実に果たしていきたいと思います。同時に教皇様が求める役割があるのであれば、それにも常に忠実でありたいと思います。
この12月16日で、2017年に東京の大司教に着座してから7年となります。7年と言えば十分な時間と言えますが、しかし残念なことにそのうちのおおよそ半分ほど、特に2020年の春頃から三年程度の期間は、コロナ感染症への対応のために、通常の取り組みがほとんどできずに過ごしました。ですので、着座から7年が経過したと言っても、実質的には半分程度しか務めを果たしていません。時宜を逸したことも多々あります。残念です。
とりわけ2019年11月に教皇様が訪日され、大きなインパクトを残されたその直後から、教会活動がほぼストップしてしまったのは、本当に無念でした。教皇様の言葉を受けて考えられた様々な企画は、そのためにすべて消え失せてしまいました。教皇様が外国訪問をされた後には必ず行われる、答礼のローマ巡礼すら実施することができませんでした。
今般、訪日5周年を記念して、12月11日の夕方には麹町教会で司教団の主催で訪日記念ミサを捧げ、上智大学構内で様々な催しを行いますが、ちょうどシノドスも終わり、現在、最終文書を翻訳するために正式な英語訳が出るのを待っているところですが、正式英語版が公表され次第、日本語訳に取り組み。この訪日5周年と併せて、年明け2月の司教総会での議論を経て、全国的な取り組みを進めていきたいと考えています。
以下、7日午後6時配信、週刊大司教第188回、待降節第二主日のメッセージです。
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待降節第二主日
週刊大司教第188回
2024年12月8日前晩
12月7日、わたしはバチカンの聖ペトロ大聖堂において、教皇様より枢機卿の称号をいただきます。枢機卿とは単なる名誉職ではなく、教皇様の顧問団の一人として、教会全体において役割を果たしていくことが求められる立場です。その求められている役割を果たすには、自分が十分ではないことをよく自覚し、恐れの中で震えております。わたしが求められている務めを忠実に果たすことができるように、これからもみなさまのお祈りによる支えをお願い申し上げます。
洗礼者ヨハネの出現を伝えるルカ福音は、イザヤ書を引用しながら、ヨハネが救い主の先駆者であることを教えています。洗礼者ヨハネは「荒れ野」で、「主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ」と叫ぶ声だと記されていますが、その響き渡る声によって、「人は皆、神の救いを仰ぎ見る」と福音は記します。
わたしたち教会も、現代社会という「荒れ野」に生きています。いのちを奪う暴力がはびこり、戦争が続き、利己的な価値観が支配する、「いのちの荒れ野」に生きています。その現代の「いのちの荒れ野」のただ中にあって、教会は「主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ」と呼びかける声であり続けたいと思います。
枢機卿がいただく正装の色は深紅です。それは福音のために殉教すらいとわないという決意を象徴しています。ですからわたし自身が教会の先頭に立って、現代社会に向かい、「主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ」と叫ぶ覚悟を持たなくてはなりません。同時にそれは教会全体の務め、すなわちキリストに従う皆さんとともにある教会の務めです。
この「いのちの荒れ野」のただ中に立つ教会と歩みを共にしてくださるのは聖母マリアです。12月8日は無原罪の聖母の祭日ですが、今年は待降節第二主日と重なるために、翌日に変更となっています。聖母マリアは、傷ついたわたしたちを神の愛で包み込み、ともに歩み、共に、「主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ」と叫ぶ声になってくださいます。
ともに歩んでくださる聖母の取り次ぎに信頼しながら、これからも共に、荒れ野に響きわたる先駆者の声であり続けましょう。