大司教

週刊大司教第百八十五回:年間第三十三主日

2024年11月18日

シノドス期間中にお休みをいただいておりました「週刊大司教」を、今週から再開いたします。

このたび枢機卿に任命されたことで、このプログラムのタイトルも「週刊枢機卿」に変更となるのかとのお尋ねを複数いただいています。タイトルは変わりません。今後とも「週刊大司教」として続けます。

と言いますのも、教会において助祭、司祭、司教は、叙階の秘跡によるものですが、「枢機卿」は秘跡的な叙階ではありません。カテキズムによれば、「洗礼、堅信、叙階の三つの秘跡は、恵みのほかに、秘跡的な霊印つまり「しるし」をあたえ・・・霊印はいつまでも残り、消えることはありません(1121)」と記されています。枢機卿というのは、特定の役割を果たす立場を教皇様から与えられることによって生じるので、枢機卿になったとしても、叙階の秘跡でわたしに霊印として刻み込まれた司教であるということに変わりはありません。したがって、今後も、枢機卿であっても司教であることに変わりはありません。ですから「週刊大司教」で続けたいと思います。

以下、16日午後6時配信の週刊大司教第185回、年間第33主日メッセージ原稿です。
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年間第33主日
週刊大司教第185回
2024年11月17日前晩

マルコ福音は、世の終わりを示唆する様々な困難を記しています。各地での戦争や紛争をはじめとして、政治や経済の混乱と国際関係の混乱が続き、さらには気候変動をはじめ災害の頻発する現代社会は、まさしくこの世の終わりの状況にあたると思わされるものがあります。しかし同時に、そういった思いは、歴史を通じてしばしば起こったことでもあり、そのときの状況に一喜一憂するよりも、時のしるしを読み取ることの大切さを福音は説いています。

「現代の人々の喜びと希望、苦悩と不安、特に貧しい人々とすべての苦しんでいる人々のものは、キリストの弟子たちの喜びと希望、苦悩と不安でもある」と始まる第二バチカン公会議の現代世界憲章は、全人類との対話のうちに神の福音をあかしするために、「教会は、つねに時のしるしについて吟味し、福音の光のもとにそれを解明する義務が」あると指摘しています。起きている出来事に翻弄されるのではなく、福音的視点からそこに示されるしるしを読み取ることは、教会の務めです。

福音は、受難の時が迫る中でイエスが語った言葉を記しています。人類はさまざまな苦難に直面するものの、「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない」と語ることで、愛に満ちあふれた神はご自分の民を決して見捨てることはないと、主イエスは断言されます。同時にイエスは、わたしたちが「時のしるし」を識別し、つねに備えたものであるようにと教えられます。

わたしたち神の民にとって時のしるしを読み取るために歩むべき道は、今回のシノドスの中で示されています。シノドスは、神によって集められたわたしたち神の民が、ともに耳を傾けあい、支え合い、祈り合い、ともに歩むことによって、共に聖霊の導きを識別することの重要性を説いています。まさしく時のしるしを読み取るのは、カリスマ的な予言者の務めではなく、共に識別する神の民の務めであり、その意味で、教会こそは現代にある預言者であります。

教皇様は、シノドスの最終日に採択された最終文書を受け取られ、「今の時代に「共に歩む教会」になるためにはどうしたらよいかをよりよく理解するため、神の民の声に努めて耳を傾けてきた、少なくとも3年にわたる年月の実りである」と評価をされました。

その上で、教皇様はこの最終文書をご自分の文書とされることを公表され、これまでの通例であったシノドス後の使徒的勧告は、あらためて書くことをしないと宣言されました。

教皇様は、「経験に基づく証しを伴わない文書は価値を失ってしまう」と指摘され、「暴力、貧困、無関心などの特徴を持つ世界のあらゆる地域から訪れたわたしたちは、失望させることのない希望をもって、それぞれの心に授けられた神の愛のもとに一致し、平和をただ夢見るだけでなく、そのために全力を尽くさなければならない」と、シノドス参加者に求められました。

混迷を極める現代社会に預言者として存在する教会は、時のしるしを共に識別し、福音を具体的に明かしする存在であり続けたいと思います。