大司教

週刊大司教第百八十二回:年間第二十三主日

2024年09月09日

9月になり、少しづつ秋の気配も感じるようになりましたが、まだまだ暑い毎日が続きそうです。

教皇様はインドネシアに始まり、パプアニューギニア、東ティモール、シンガポールを歴訪中です。教皇様の健康のためにお祈りください。わたしも司教協議会の会長として呼ばれたので、12日のシンガポールでのミサに参加させていただく予定です。

シノドスの第二会期がまもなく始まります。第二会期のための討議要項の日本語翻訳ができあがりましたので、中央協議会のホームページで公開されています。また昨日開催された臨時の司教総会で司教様方に報告ができたので、第二会期に備えた様々な準備の記事や呼びかけなどの記事をシノドス特別チームで作成して、中央協議会の特設サイトに掲載いたしました。どうぞご覧ください。冒頭に、わたしからの呼びかけがあり、さらにそのほかの記事へのリンクも張ってあります。そのほかの記事としては、まず5月に行われた小教区で働く司祭の会合について参加した高山徹神父様の報告、8月に行われたアジアのシノドス参加者の会合について参加した西村桃子さんの報告。そして8月末に行われたアジア、アフリカ、ラテンアメリカの司教協議会連盟の会合の報告をわたしが記しました。

さらには、討議要項(第二会期のための公式な手引き書)はかなり長い文書ですので、その要約も特別チームで作成し、さらにそこから読み取れる今後期待される展開について、チームの小西広志神父様(フランシスコ会)に記事を書いていただきました。ご覧いただけましたら幸いです。(なお、シノドス第二会期の準備のために構成されたシノドス特別チームは、わたしと、神学顧問の小西広志神父様、奉献生活者の西村桃子さん、大阪高松教区司祭の高山徹神父様、信徒の辻明美さんで構成されています。)

以下、7日午後6時配信の週刊大司教第182回、年間第23主日のメッセージ原稿です。
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年間第23主日
週刊大司教第182回
2024年9月8日前晩

マルコ福音書に記された「エッファタ」の物語が、「すべてのいのちを守るための月間」を過ごしているいま朗読されることは、意義深いものがあります。なぜなら、「ラウダート・シ」で教皇フランシスコが呼びかけていることを理解するためには、現実に対して閉ざされているわたしたちの心の耳と目が開かれる必要があるからです。

現実の世界におけるしがらみは、わたしたちの思考を制約し、聞こえるはずの叫びに耳を塞がせ、見えるはずの世界から目を背けさせてしまいます。教皇フランシスコは、そういったしがらみによる縛りをすべてうち捨て、いのちが育まれるこの共通の家をどうしたら神が望まれるように育み護ることが出来るのか、目を開き、耳を開くようにと呼びかけます

マルコ福音には、イエスが「エッファタ」の言葉を持って、耳の聞こえない人の耳を開き、口がきけるようにされたと記されています。さまざまな困難を抱えていのちを生きている人に、希望と喜びを生み出した奇跡です。この物語は、具体的に困難の中で生きている多くの方への神のいつくしみの希望のメッセージであると同時に、すべての人にとっても必要な、閉ざされた心の目と耳の解放の物語でもあります。

わたしたちは、いのちを生かされている喜びに、満ちあふれているでしょうか。そもそも私たちのいのちは、希望のうちに生かされているでしょうか。喜びに満たされ、希望に満ちあふれるためには、すべての恐れを払拭する神の言葉に聞き入らなくてはなりません。「恐れるな」と呼びかける神の声に、心の耳で聞き入っているでしょうか。わたしたちは、神の言葉を心に刻むために、心の耳を、主イエスによって開いていただかなくてはなりません。「エッファタ」という言葉は、わたしたちすべてが必要とする神のいつくしみの力に満ちた言葉であります。わたしたち一人ひとりのいのちが豊かに生かされるために、神の言葉を心にいただきたい。だからこそ、わたしたち一人ひとりには今日、主ご自身の「エッファタ」という力ある言葉が必要です。

先頃日本の司教団が発表した総合的エコロジーのメッセージ「見よ、それはきわめてよかった」において、わたしち司教団は、「観る、識別する、行動する」という「三段階を通じて、環境やエコロジーについての理解を深めるよう」勧めています。第一のステップの「観る」について司教団は、「単なる事実の把握にとどまらず、神の思いに包まれながら、心を動かされつつ気づく」ことだとして、それは「出会う」ことでもあると指摘します。その上で、司教団は、「わたしたちはたくさんの思い込みや先入観、自己中心的な願望を持って生きています。また問題の状況・原因は複雑なもので、わたしたちの認識にはいつも限界があります。そのような限界を認めつつ、聖霊を通して豊かに働いてくださる主に信頼して、観る歩みを進めましょう」と呼びかけています。わたしたちの閉ざされた目と耳を開こうと、主は今日も「エファッタ」と呼びかけておられます。