大司教

週刊大司教第百七十八回:年間第十八主日

2024年08月06日

あっという間に8月になりました。8月は特に、6日と9日の広島と長崎の原爆忌に始まり15日の終戦記念日までの10日間、平和旬間が定められており、平和について語り、平和について祈り、平和について行動するときとなっています。東京教区における平和旬間の行事は、こちらの教区ホームページのリンクにある内容で予定されています

あらためてですが、本日のメッセージでも触れている司教協議会の会長としての平和旬間の談話はこちらです。そこでも触れていますが、平和は、総合的な視点からみて、この世界におけるわたしたちの命の始まりから終わりまで、すべからくその尊厳が守られることによってのみ確立されます。ですから平和を求める動きは、戦争だけではなく、命にかかわるすべての出来事を考察の対象としなくてはならず、一年を通じた課題です。8月はその中でも、過去の歴史の経緯から、特に戦争など命に対する暴力に注目しながら、平和を語り祈るときとしたいと思います。

夏休み期間でもあることから、教会学校などの行事もあることでしょう。どうか安全に留意しながら、心と体が豊かに成長する時を過ごされますように、皆さまの安全と霊的成長のためにお祈り致します。

わたしは、目黒教会の助任であるマーティン神父を同行者として、ガーナで8月10日に行われる神言会の司祭叙階式を司式するために、まもなくガーナへ一週間、出かけて参ります。日本から数名の方々がご一緒くださることになり、心強く思います。新しい交わりが開かれることを期待しての旅です。マーティン神父様自身が、わたしがガーナで働いていたときの担当小教区の出身者ですが、今回叙階される新司祭の中にも、その同じ村の出身者がおります。その関係で、かつて主任司祭を務めていたわたしが、叙階式に呼ばれることになりました。通信環境がどうか分かりませんが、随時現地から報告できればと願っています。なお次の土曜日、8月10日の週刊大司教はお休みです。次回は8月17日の予定です。

以下、3日午後6時配信、週刊大司教第178回、年間第18主日メッセージ原稿です。
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年間第18主日
週刊大司教第178回
2024年8月4日前晩

「私が命のパンである」と宣言される主イエスの言葉を、ヨハネ福音は記しています。集まっている人々は、この世の生命を長らえるための食物を求めているのですが、イエスは永遠の命を与えるパン、すなわちご自身のことを語っておられます。

わたしたちはこの世界で生きていますから、「いまどう生きるのか」に関心を寄せてしまいます。しかし、「主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のようです」とペトロの第二の手紙の三章に記されているとおり、永遠に至る神の救いの計画から見れば、人間の人生における例えば百年は、一瞬にすぎません。わたしたち人類は、ほんの短い先すらも見通すことができず、いまを生きることに心をとらわれて、数々の過ちを積み重ねています。

その最たるものは、様々な理由を見いだして始められる戦争や武力紛争です。確かにその時点の世界における力関係では、戦争だけが選択肢に見えたことでしょう。しかし戦争を始めることは、命を危機にさらすことに他なりません。神の救いの計画の中では、賜物として神が創造し与えてくださったこの命を、すべからく守り抜くことこそが最も大切であるはずです。にもかかわらず、わたしたちは短期的な人間の視点から様々な理由を持ち出しては、護るべき命を暴力にさらし続けています。

ご聖体をいただくわたしたちは、ご聖体のうちに現存される主との一致のうちに、主が教えてくださる道を歩むように務めることで、自分自身の救いのためだけではなく、人類全体の救い、すなわち神の救いの計画に与り、その計画の実現のために働く者となります。視点を自分のうちだけに留め、短期的な思惑に振り回されることなく、ご聖体に現存される主イエスに生かされて、常に新たにされ、神の視点で世界を見るものでありたいと思います。

8月は、平和について思いを巡らし、平和を祈るときであります。広島、長崎における原爆忌から終戦の日までの10日間を、日本の教会は平和旬間と定めています。

平和旬間にあたり、司教協議会の会長談話を発表しています。今年はテーマを、教皇様が繰り返される言葉に触発されて、「無関心はいのちを奪います」といたしました。

教皇聖ヨハネ23世の「地上の平和」の冒頭には、「すべての時代にわたり人々が絶え間なく切望してきた地上の平和は、神の定めた秩序が全面的に尊重されなければ、達成されることも保障されることも」ないと記されています。したがって、神の定めた秩序の実現を妨げる出来事は、そのすべてが平和の実現を阻んでいると教会は考えます。もちろんその筆頭には、神からの賜物である命を暴力的に奪う戦争や紛争があるのは間違いがありません。

しかし同時に、神の定めた秩序の実現を阻む状況とは、武力の行使だけにとどまらず、ありとあらゆる命への暴力がそこには含まれています。神の秩序の実現を妨げ、人間の尊厳をないがしろにする現実は、神の平和の実現を阻害するものです。あらためて平和の実現を、祈りたいと思います。