大司教

週刊大司教第百七十七回:年間第十七主日

2024年07月29日

7月も最後の日曜日となりました。全国的に暑い毎日が続いております。大雨で土砂災害や洪水の被害に遭っている地域も多くあります。被害を受けられた多くの皆さまに、心からお見舞い申し上げます。

中央協議会からは、この数日の間に、様々な出版物が出ました。まずは聖年の大勅書「希望は欺かない」です。これは高見大司教様が翻訳をしてくださいました。税込み220円の定価のついた小冊子としてあります。聖年に向けた準備として、是非手元に置いてください。またできる限り多くの肩に触れていただきたく、テキストをそのまま中央協のホームページに掲出してありますので、ご活用ください。

なお同時に発表された聖年に伴う教皇庁内赦院の「教皇フランシスコにより発表された 2025年の通常聖年の間に与えられる免償に関する教令」は、翻訳を中央協議会のこちらのリンクから読んでいただくことができます。

またすでに様々な方が触れてくださっていますが、久しぶりの司教団全員一致で発出した司教団メッセージとしての「見よ、それはきわめてよかった」も、出版されています。こちらも定価がついた小冊子ですが、特に内容を多くの方に読んでいただきたく、無料でテキストを中央協議会のサイトに掲出しております。どうぞご活用ください。教皇様の「ラウダート・シ」に触発されて、司教団は総合的エコロジーの視点を持つことの重要さを強調しており、メッセージの内容もさることながら、「ラウダート・シ・デスク」を司教協議会に設置し、成井司教様を責任者に、今後各地で啓発のためのプログラムを展開していくことになっています。東京教会管区でも、9月7日の午前中に、東京でシンポジウムを行いますが、これについては別途お知らせします。なおこちらのリンクは新潟教区のホームページですが、担当の成井司教様が、早速シンポジウムの案内を掲出されていますのでご覧ください。またデスクの責任司教である成井司教様と担当のアベイヤ司教様のお二人で、このメッセージについて解説したビデオが作成されています。こちらのリンクからYoutubeでご覧いただけます。是非。

さらに、先日の司教総会で司教様方に報告された今年の平和旬間のためのわたしが書いた司教協議会会長談話「無関心はいのちを奪います」も、すでに公開されています。こちらのリンクから是非一度ご覧いただければと思います。

以下、27日午後6時配信、週刊大司教第177回、年間第17主日メッセージ原稿です。
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年間第17主日
週刊大司教第177回
2024年7月28日前晩

ヨハネ福音は、「五つのパンと二匹の魚」の物語を記しています。

ひとりの少年がささげたのは、五つのパンと二匹の魚でしたが、そこに集まった五千人を超える人たちの空腹を満たしたという、奇跡物語です。

この物語は、少ない食べ物が多くの人を満たしたと言う奇跡の物語であると同時に、自分が持つ数少ないものをまもるのではなく、他者のために惜しみなく分かち合ったときに生まれる愛の絆の物語でもあります。

教皇フランシスコは2015年7月26日のお告げの祈りの際にこの福音の箇所に触れ、次のように述べておられます。

「イエスは『買う』という論理の代わりに「与える」という別の論理を用いています」

その上で教皇は、この物語が、ミサを通じて主の食卓にあずかり、主イエスご自身の現存である御聖体によって生かされることで教会共同体にもたらされる、共同体の交わりにおける霊的な一致の意味をあらためて考えさせると指摘します。

教皇はそのことを、「ミサにあずかることは、イエスの論理、すなわち無償の論理、分かち合いの論理に分け入ることを意味します。また、わたしたちは皆、貧しいからこそ、何かを与えることができます。「交わる」ことは、自分自身や自分が持っているものを分かち合えるようにしてくださる恵みを、キリストから受けることを意味するのです」と記します。

さらに教皇は、わたしたち一人ひとりを「与える」ことへと招かれて、こう述べています。

「わたしたちは確かに、一定の時間や何らかの才能、技能を持っています。『五つのパンと二匹の魚』を持っていない人などいるでしょうか。わたしたちは皆、それらを手にしています。もし、わたしたちが主の御手にそれらをゆだねたいと望むなら、世界が少しでも愛、平和、正義、そしてとりわけ喜びに満たされるのに、それらは十分、役立つでしょう」

世界は希望を必要としています。とりわけ、各地で頻発し、なおかつ解決の道が見いだせない武力による対立は、多くのいのちを危機に陥れ、絶望を生み出しています。世界は希望を必要としています。

希望は、どこからか持ってこられるような類いのものではなく、心の中から生み出されるものです。心の中から希望を生み出すための触媒は、共同体における交わりです。互いに支え合い、ともに歩むことによって生まれる交わりです。少ない中からも、互いに自らが持っているものを分かち合おうとする心こそは、交わりの共同体の中に希望を生み出す力となります。