大司教

週刊大司教第百七十六回:年間第十六主日

2024年07月22日

東京は梅雨が明け、本格的な夏となりました。

臨時司教総会が、7月16日午後から19日昼まで、潮見にある日本カトリック会館で開催され、全国15の教区から17名の現役司教と男女修道会の代表4名が集まりました。開会にあたって、着任されたばかりの新しい教皇大使モリーナ大司教様が潮見までおいでくださり、挨拶をしてくださいました。モリーナ大司教は、以前、参事官として日本で働いた経験もあるので、司教団の中にも、わたしを含めて大使を存じ上げているものもおりますし、また教会の中には、以前の参事官としての任期の時に交流があった共同体もあると聞いています。大使ご本人も、改めて日本に着任されたことをお喜びで、これから全国各地の教会をできる限り訪問したいという意向が表明されています。

具体的な司教総会の決定などについては、別途、中央協議会のホームページなどをご覧ください。ただ一点付け加えるならば、今回の総会中に、会長選挙を行いました。現在のわたしの会長任期は来年6月に開催される定例司教総会までとなります。したがって次期会長の任期は2025年6月から3年間となります。

選挙の結果、わたしが再選され、改めて来年の6月以降3年間、会長を続投することになりました。どうぞよろしくお願い致します。

また同時に行われた選挙で、梅村司教様が副会長に、大塚司教様が事務局担当に再選され、常任司教委員会のメンバーも数名が入れ替わることになりました。これについても、別途お知らせ致します。

また、8月の平和旬間に先立って、今年は会長談話を用意させていただきましたが、これについても司教団の承認をいただき、中央協議会のホームページに掲載されております

以下、20日午後6時配信、週刊大司教第176回、年間第16主日メッセージ原稿です。
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年間第16主日
週刊大司教第176回
2024年7月21日前晩

マルコ福音は、先週の続きで、福音宣教に派遣された弟子たちが共同体に戻り、宣教活動における成果を報告すると、イエスは観想の祈りのうちに振り返るように招かれたと記します。

シノドス第一会期の最終文書は、信仰養成について触れた箇所で、次のように記しています。

「イエスが弟子たちを養成した仕方は、わたしたちが従うべき模範です。イエスは単に教えを授けるだけでなく、弟子たちと生活をともにしました。自らの祈りによって、「祈ることを教えてください」という問いを彼らから引き出し、群衆に食事を与えることによって、困っている人を見捨てないことを教え、エルサレムへ歩むことによって、十字架への道を示しました(14b)」

今日の福音では、実際に宣教に出かけて戻ってきた弟子たちに、「しばらく休むが良い」と休息をとることを勧めた話になっていますが、これは単に身体的な休息だけではなく霊的な休息、すなわち観想と祈りにおける振り返りの必要性を弟子たちに教えた話です。

イエスご自身も、人々の間での様々な教えや具体的な行動の前、朝早くまだ暗いうちに、人里離れた所に出て行かれ、一人で祈られたことが他の箇所に記されています。ご自分の使命をはたす力を、観想の祈りから得ておられた主イエスは、まさしくやってみせることで、弟子たちにその重要性を示しました。

シノドス第一会期の最終文書は、シノドス的な教会共同体であるために必要な要素を記している箇所に、次のように記しています。

「イエス・キリストを人生の中心に据えるには、ある程度、自己を空にすることが必要です。・・・各人が自分の限界と自分の視点の偏りを認識することを強いる、厳しい禁欲的な実践です。このため、教会共同体の境界を越えて語りかける神の霊の声に耳を傾ける可能性が開かれ、変化と回心の旅を始めることができるのです(16c)」

シノドス的な教会を求める旅路には、例えば霊における会話のように重要な道具が用意されています。霊における会話が強調されることで、それをその通りに行うこと自体が重要視されてしまうきらいがありますが、あくまでもそれは重要ではあるけれど道具の一つに過ぎません。霊における会話のプロセスの中で大切なことは、やはり沈黙と祈りです。もちろん参加者がそれぞれの思いを語ることと耳を傾けることは重要ですが、それ以上に、沈黙のうちに共に祈ることが欠いていては、霊における会話は成り立ちません。沈黙の祈りは考え込むときではなく、「自己を空にする」時であります。「自分の限界と自分の視点の偏りを認識する」時でもあります。

わたしたち教会の福音宣教の活動は、必ずや沈黙のうちの振り返りの祈りの時に支えられていなくてはなりません。