大司教

週刊大司教第百七十回:年間第十主日

2024年06月10日

年間第10主日です。

立場上、いくつかの法人組織で理事や評議員をさせていただいていますが、6月は多くの法人で決算のための理事会や評議員会が開催されます。今週は、そういった理事会や評議員会が目白押しの週でした。そんな中で、5日の水曜日の夜、イグナチオ教会のヨセフホールを会場に、イエズス会社会司牧センターの主催で行われた連続セミナーで、お話をさせていただく機会がありました。テーマはもちろんシノドスです。

多くの方に参加いただき感謝します。わたしが40分ほど、シノドスの第一会期の体験についてお話しさせていただき、そのあと、6人くらいずつのグループに分かれて、実際に霊における会話を体験しました。今回のシノドスが目指すのは、一朝一夕の改革ではなくて、息が長い、教会の体質改善です。聖霊の導きを共同で識別する教会共同体となっていくことです。これからも地道に、焦ることなく、じっくりと取り組んでいきたいと思います。

このセミナーはまだまだ続きます。上記のリンクからホームページをご覧になって、ご参加ください。

以下、8日午後6時配信の週刊大司教第百七十回、年間第10主日のメッセージ原稿です。
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年間第10主日B
週刊大司教第170回
2024年6月9日前晩

「神の御心を行う人こそ、私の兄弟、姉妹、また母なのだ」

マルコによる福音は、神の計画とこの世の常識や秩序がすれ違っている様を記しています。ナザレの田舎から出た大工の息子が、30才になった頃に多くの人を前にして神の真理を語り始め注目を浴びるようになったのですから、それまでの30年間を知っている「身内の人たち」は、それを理解することができません。イエスをよく知った彼らにとって、世の常識に従えば、話している内容ではなくて、その行動自体が奇異に映ったことでしょう。

イエスを取り押さえに来た身内の人たちに対して、「神の御心を行う人こそ、私の兄弟、姉妹、また母なのだ」というイエスの言葉は、神の計画がこの世の常識や秩序と全くかけ離れていることを明確に示し、福音の物語は、多くの人がそれを理解することができない様を記しています。

神のみ旨を知り、そしてそれに従い、さらにそれを広めることに、常につきまとうのはこの世の常識との対立であります。もちろん信仰は、この世界に現実に生きている人間の具体的な心の問題であって、フィクションの世界の夢物語ではありませんから、この世の現実を全く無視して成り立つものではありません。同時に、世の常識や秩序を優先させてしまうと、神が望まれる世界とはかけ離れてしまいます。

第二バチカン公会議の「現代世界憲章」は、「神の民は、世界を満たす主の霊によって自分が導かれていることを信じ、この信仰に基づいて、現代の人々と分かち合っている出来事、欲求、願望の中に、神の現存あるいは神の計画の真のしるしを見分けようとつとめる(11)」と記します。

すなわち、教会は社会の現実から切り離された存在ではなく、積極的に社会の現実を識別し、その中に具体的にある神の計画を見極める存在であります。信仰は社会の現実から遊離しているものではありません。

しかし同時に神の計画は、この世の秩序を完全に否定することから始まるわけでもありません。第二バチカン公会議の「信徒使徒職に関する教令」は、社会の現実の中で生きる信徒の召命について語っていますが、そこにこう記されています。

「世に対する神の計画とは、人々が互いに心を合わせて現世の事物の秩序を打ち立て、これをたえず完成させることである(7)」

教会は、この世の現実を破壊したり、秩序を打ち壊したり否定することではなく、それを神が望む形で完成させる道を選ぶことで、神の御心を実現し、わたしたちが主の家族となる道を歩もうとしています。

教会はいまシノドスの道を歩んでいますが、それは現実と妥協してしまう道ではなく、互いに耳を傾けあい、違いを認め合いながら、ともに現実を神の計画に近づけるように努める道でもあります。