大司教
週刊大司教第百六十八回:三位一体の主日
2024年05月28日
聖霊降臨祭の次の主日は、三位一体の主日です。
東京教区司祭使徒ヨハネ小宇佐敬二神父様が、長年の癌との闘いを経て、5月20日に桜町病院のホスピスで帰天されました。76歳でした。葬儀は5月23日午後、東京カテドラル聖マリア大聖堂で行われ、司祭叙階の同級である関町教会主任の稲川保明神父様が、追悼の説教をしてくださいました。
小宇佐神父様は、岡田大司教様からの依頼で、長年にわたって心のケアを重要な使徒職とされ、心に重荷を抱え社会から疎外された人、様々な理由で社会から疎外されている人への寄り添いに取り組んでこられました。また、東京カリタスの家常務理事として理事長であった岡田大司教様を支え、その発展に大きく貢献されました。
わたしが東京に任命された6年前には、すでに食道癌との闘いのため、ペトロの家に居住されていましたが、手術や化学療法を経て、車いすから杖を使っての歩行へと回復されているようにお見受けしていました。体調の悪い時にも、車いすで、または杖をつかって、ペトロの家からカテドラルの反対側にある東京カリタスの家まで毎日出かけておいででした。
写真は一年前、2023年3月の誕生日のものです。今年は誕生日の夕食会をペトロの家で行い、みなに故郷宮崎から取り寄せたステーキをふるまい、その翌日に桜町病院のホスピスに入院されました。
小宇佐神父様の永遠の安息のためにお祈りください。
わたしたちは、「父と子と聖霊の御名によって」洗礼を受けますから、わたしたちの信仰は三位一体の神秘の上に成り立ってます。その意味で重要な神秘であると同時に、様々な説明が試みられていますが、唯一の神の三つのペルソナは、それぞれの働きをするとともに等しく唯一の神であるということは、簡単には理解することのできない、それこそ神のいのちの神秘でもあります。
カテキズムには、「三位は一体です。三つの神々ではなく、三者として唯一の神、すなわち、実体として一つである三位の神を、わたしたちは信じています。・・・三つのペルソナのそれぞれが、神的実体、神的本質ないし本性という、同じ状態なのです」と記されています(253)。
以下、25日午後6時配信、週刊大司教第168回、三位一体の主日のメッセージです。
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三位一体の主日
週刊大司教第168回
2024年5月26日前晩
三位一体の主日のミサのはじめに唱えられる集会祈願は、「聖なる父よ、あなたは、みことばと聖霊を世に遣わし、神のいのちの神秘を示してくださいました」と始まります。
すなわち、神のいのちの神秘は、父と子と聖霊の三位のいずれかのみにあるのではなく、父と子と聖霊に等しくあり、それぞれ等しく唯一の神であることが明らかに示されています。神のいのちの神秘は、三位一体の神秘のうちに現されます。だからこそわたしたちは、父と子と聖霊の御名によって、洗礼を授けられます。わたしたちキリスト者の信仰が、三位一体の神秘に基づいているからに他なりません。
「至聖なる三位一体の神秘は、キリスト者の信仰と生活の中心的な神秘です。・・・信仰の他のすべての神秘の源、それらを照らす光なのです」と教会のカテキズムには記されています。(234)
御父は、人間からかけ離れた遠い存在ではなく、また厳しく裁きを与え罰する存在ではないことを、パウロはローマの教会への手紙に、「人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです。この霊によってわたしたちは、『アッバ、父よ』と呼ぶのです」と記して教えます。わたしたちは聖霊の導きによって、御子と同じように御父をこの上なく親しく感じる者とされ、その一部ではなくすべてを受け継ぐ者と見なされるのだと、「キリストと共同の相続人」という言葉を使ってパウロは強調しています。
マタイ福音は、三位一体の交わりのうちに生かされているわたしたちに、主は、「あなた方は行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼をさずけ」るようにと命じたと記します。すなわちわたしたちは、全世界の人を三位一体の神秘における交わりに招くように、遣わされています。わたしたちは自分の心の思いや自分の信仰理解を告知する者ではなくて、三位一体の神を告げる使者であります。
わたしたちは、日本だけ単独で生きているのではなく、世界の人々と共にあり、また特に近隣であるアジアの兄弟姉妹と共に生きています。
1998年に開催されたアジアシノドスを受けて発表された教皇ヨハネパウロ二世の使徒的勧告「アジアにおける教会」に、教会の派遣の使命について、次のような指摘があります。
「教会は、聖霊の促しに従うときだけ自らの使命を果たすことができることをよく知っています。教会は、アジアの複雑な現実において、聖霊の働きの純粋なしるしと道具となって、アジアのあらゆる異なった環境の中で、新しく効果的な方法を用いて救い主イエスをあかしするよう招く聖霊の促しを識別しなければなりません(18)」
その上で教皇ヨハネパウロ二世は、「アジアにおいては非常に異なった状況が複雑に絡み合っていることを深く意識し、『愛に根ざして真理を語り』つつ、教会は、聞き手への尊敬と敬愛を持って福音を告げしらせます。(20)」と記しています。
シノドスの道を歩んでいる教会において、一番大切なことは、互いの声に耳を傾けあい、互いの違いを認識しあい、互いに支え合って歩むことです。アジアの現実における福音宣教は、相手を屈服させ従わせることではなく、「尊敬と敬愛を持って」互いに耳を傾けるところにあります。言葉と行いによる証しを通じて、父と子と聖霊の神のいのちの神秘に、一人でも多くの人が招き入れられるように、耳を傾けあい、支え合いながら、歩んで参りましょう。