大司教

週刊大司教第百五十七回:四旬節第二主日

2024年02月26日

四旬節第二主日となりました。

昨日まで、バンコクではアジア司教協議会連盟(FABC)の年に一度の中央委員会が開催されていました。アジアの各国地域の司教協議会会長がメンバーで、今回は16名の会長司教が集まりました。私はFABCの事務局長を務めています。今回は役職者の選挙があり、来年2025年1月からの3年間の新しい指導体制が決まりました。現在のミャンマーのボ枢機卿様と交代して新しい会長にはインドはゴアのフィリッポ・ネリ・フェラオ枢機卿様、副会長に現在のスリランカのランジット枢機卿様に代わりフィリピンのカローカンのパブロ・ダビド司教様が選出され、事務局長は私が二期目に再選されました。FABCに関しては、別途記します。(下の写真、一列目中央の白いシャツがボ枢機卿、その向かって右がダビド司教、左がフェラオ枢機卿、さらにその左がボンベイのグラシアス枢機卿、その左隣がわたし)

四旬節には、特に金曜日に十字架の道行きを行うことが勧められており、小教区でそのための時間が設けられているところも多くあろうかと思います。昨年の四旬節に、お一人でも、また自宅でも、十字架の道行きをするための手助けになればと、十字架の道行きのビデオを作成しました。最初に私の解説が少し入っています。本などなくても、画面に言葉で出てきますので、一緒に唱えていただけます。ご活用ください。こちらのリンク先の東京教区Youtubeチャンネルにあります

以下、24日午後6時配信、週刊大司教第157回、四旬節第二主日メッセージ原稿です。
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四旬節第二主日
週刊大司教第157回
2024年2月25日前晩

イエスの福音宣教は、旅路です。イエスは、一定の成果を手にし、安心と安全を得た地にとどまり続けることをよしとせず、福音を告げるために旅を続けます。その旅は、常に挑戦に満ちあふれていますが、臆することなく、イエスは福音をあかしし続けます。

マルコ福音は、その旅路を歩むイエスが、三人の弟子たちの前で光り輝く姿に変容した出来事を伝えています。神の栄光を目の当たりにし、

「これは私の愛する子、これに聞け」という神の声を耳にしたペトロは、その栄光の輝きの中に留まり続けることを望み、仮小屋を三つ建てることを提案します。しかしイエスは歩み続けます。

本日の第一朗読である創世記は、神からの試練の内にあるアブラハムが、神への信頼のうちに理解不可能な未知の領域に歩みを進める姿を記しています。イサクを献げるようにと言う、神からのいわば無理な要求です。アブラハムは、今の安定に留まることなく、神に従って前進することを選びます。アブラハムの人生は、安定に留まらず、常に挑戦しながら旅を続ける人生でした。その生き方を、神は高く評価しました。

信仰は、わたしたちに常なる挑戦へと旅立つことを求めます。

四旬節にあたり教皇フランシスコは、「荒れ野を通り、神はわたしたちを解放へと導かれる」というタイトルのメッセージを発表されています。

メッセージの中で教皇は、わたしたちが回心の道を歩み続けることを、荒れ野を旅したイスラエルの民になぞらえ、「希望を失い、荒れ果てた地にいるように人生をさまよい、ともに向かっているはずの約束の地が見えないとき」、民は元の奴隷状態を懐かしみ、前進するよりも過去に縛られ続けようとしたことを指摘します。

同じように、現代社会に生きているわたしたちも、「世界規模での兄弟愛の実現を目前にしながら、科学、技術、文化、法制度が、万人の尊厳を保証しうる水準にまで発展しながら、格差と紛争の闇を進んでいること」の理由は、罪の状態から解放されようとするよりも、「自由を犠牲にしてまでも、なじんでいるものの安心感に惹かれる」わたしたちの弱さであり、他者の叫びへの無関心であると指摘されています。

その上で教皇は、教会のシノドス的な姿を追求することは、「四旬節が共同体での決断の時でもあると示唆してくれます。個々人の日常を改め、地域の生活を変えうる、今の流れとは違う選択を大小さまざまに行う時です。購買の意識化、被造物のケア、社会から無視され見下げられている人たちの受け入れ、そうしたことを選択していくのです」とのべています。

わたしたちは安住を求めるのではなく、常に挑戦し続けながら前進を続ける神の民です。希望が見いだせないときにも、「奴隷状態から抜け出る勇気」をもって、歩み続けたいと思います。

教皇様は、「信仰と愛が希望に歩みを教え、希望が信仰と愛を引っぱっていくのです」と記されます。勇気を持ってともに歩み続けましょう。