大司教
週刊大司教第百五十一回:年間第二主日
2024年01月15日
元旦に発生した能登半島を中心とする大地震は、時間が経過するにつれて、その被害の甚大さが明らかになりつつあります。
被災された多くの皆さまに、心からお見舞い申し上げます。
カトリック教会は、被災地を管轄する名古屋教区と、カリタスジャパンの連携の中で、被災地の支援に当たって参ります。またその活動にあっては、東日本大震災の教訓を元に設置された司教協議会の緊急対応支援チーム(ERST)が名古屋教区が金沢に設置する拠点と協力して、支援活動の調整にあたります。今後の対応についての報告が、中央協議会のこちらに掲載されていますので、ご覧ください。司教協議会としては、1月11日に開催された常任司教委員会で、名古屋教区の松浦司教様とカリタスジャパンの責任者である成井司教様から直接説明を受け、今後もできる限りの支援をしていくことで合意しています。
1月14日は、アンドレア司教様が、司教叙階後に初めて堅信式を行う日となりました。市川教会で行われる京葉宣教協力体の堅信式です。堅信を受けられた皆さま、おめでとうございます。
毎年1月18日から25日まではキリスト教一致祈祷週間とされています。今年の東京における集会は1月21日日曜日の午後2時から、東京カテドラル聖マリア大聖堂の地下聖堂で行われます。コロナ禍でオンラインが続いていましたが、久しぶりに実際に集まってお祈りができるようになりました。今ある教会を解体して組織として全く新たな一つの教会とすることは即座に可能ではありませんが、同じ主に従うものとして、互いの壁を乗り越え、耳を傾けあい、協力しあいながら、共に福音の実現のための道を歩むことは不可能ではありません。一致の理想の道を諦めることなく、ともに歩んでいきたいと思います。
以下、13日午後6時配信の週刊大司教第151回、年間第二主日のメッセージ原稿です。
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年間第二主日
週刊大司教第151回
2024年1月14日前晩
主の神殿で寝ていた少年サムエルに、主は直接声をかけ呼び出されます。
サムエル記は、少年サムエルがたびたび神からの呼びかけを受けた話を記し、それに対して祭司エリが、「どうぞお話しください。しもべは聞いております」と応えるようにと指示をした話を記します。謙遜に耳を傾けたときにはじめて、神の声がサムエルの心の耳に到達しました。
教会がいまともに歩んでいるシノドスの道も、同じことを求めています。霊的な会話という分かち合いの中で、互いに語る言葉に耳を傾け、議論することなくその言葉を心に留め、さらに耳を傾けて祈るときに、初めて聖霊の導きを見いだす準備ができる。決して、おまえはどうしてそんなことを語るのだと議論することではなく、耳を傾けるところからすべては始まります。
インターネットが普及した現在、わたしたちはその中で、耳を傾けることよりも、議論し、論破することに快感を感じてしまっているのではないでしょうか。そこに神の声は響いているのでしょうか。
「来なさい。そうすれば分かる」とイエスに呼びかけられたヨハネの二人の弟子も、納得できる証拠を求め徹底的にイエスと議論したからではなく、イエスの存在とその語る言葉を心に響かせたからこそ、イエスがメシアであることを確信しました。だからこそ福音は、「どこにイエスが泊まっておられるかを見た」と記し、徹底的に議論したとは記しません。サムエルの「どうぞお話しください。しもべは聞いております」と言う態度に通じる謙遜さです。
今年の世界平和の日に当たり、教皇様は視点を大きく変え、「AIと平和」というメッセージを発表されました。それは尊厳ある人間と、その人間が生み出した技術を対比させるなかで、人間とは一体何者であるのかを改めて見つめ直そうという呼びかけです。
教皇様は、「死ぬことを免れえない人間が、あらゆる限界をテクノロジーによって突破しようと考えれば、すべてを支配しようという考えに取りつかれ、自己を制御できなくなる危険があります。・・・被造物として、人間には限界があると認識しそれを受け入れることは、充満に至るため、さらにいえば贈り物として充足を受け取るために、欠いてはならない条件です」と記して、自らが生み出した技術に過信し、逆にそれに支配されることのないようにと警告されています。
「どうぞお話しください。しもべは聞いております」という、謙遜な態度で、他者の声に、そして神の声に耳を傾けて参りましょう。