大司教

週刊大司教第百三十七回:年間第十九主日

2023年08月14日

8月6日から15日まで、ともに平和旬間を過ごしている日本の教会です。

本日8月12日は、午前中に平和を祈るミサをカテドラルで捧げ、その後、午後からいくつかの行事がありました。ミサの説教とともに、別途報告します。

以下、12日午後6時配信の週刊大司教第137回、年間第19主日のメッセージ原稿です。
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年間第19主日
週刊大司教第137回
2023年8月13日前晩

日本の教会は、過去の歴史を心に留め、その体験から謙遜に学び、同じ過ちを繰り返すことのないように行動するために、8月6日から15日までを平和旬間と定めています。この時期、いつもよりさらに力を込めて、平和の実現のために祈り行動するように呼びかけています。

マタイ福音はパンを増やす奇跡に伴う驚きと喧噪のやまない興奮状態の直後に、イエスが一人山に登って祈られたことを記しています。わたしたちは、特に感情が高ぶっているときには、どうしてもその感情にとらわれて、思いと行いが先走ってしまう誘惑の中で生きています。平和を求める願いも、なかなかそれが実現しないどころか、全く反対に平和をないがしろにするように現実を目の当たりにするとき、どうしても心は高ぶり、感情と行動が先走ってしまうこともあります。思いが強ければ強いほど、この現実を目の当たりにすれば、当然の心の動きだと思います。

しかしそんなときでも、イエスは、心の高ぶりから離れ、一人落ち着いて祈りのうちに振り返ることの大切さを教えています。

平和旬間は、もちろん、現実の世界の中で次々と起こるいのちに対する暴力的な出来事を学び、それに対抗して行動するための重要な時期でもありますが、同時に、それが教会が定めた時期なのですから、祈りのうちに平和を願い黙想し振り返ることも忘れてはいけません。一つの体に様々な役割の部分があるように、キリストの体にも様々な部分があります。平和を求める願いも、具体的な行動でそれを示そうとする人もいれば、祈りを持ってそれを実現しようとする人もいる。それぞれにふさわしい方法で、この平和旬間を過ごしていただければと思います。

戦争は自然災害のように避けることのできない自然現象なのではなく、まさしく教皇ヨハネ・パウロ二世が広島で指摘されたように、「戦争は人間のしわざ」であり、「人類は、自己破壊という運命のもとにあるものでは」ないからこそ、その悲劇を人間は自らの力で避けることが可能です。暴力が世界を席巻し、いのちを守るためには暴力で対抗することも肯定するような風潮の中、わたしたちは神から与えられた賜物であるいのちを守り抜くものとして、あらためて「戦争は死です」と声を上げたいと思います。