大司教
週刊大司教第百二十七回:三位一体の主日
2023年06月05日
三位一体の主日となりました。また6月はイエスの御心の月でもあります。
聖霊降臨からのこの一週間、月曜日には東京教区で働く司祭の毎月の集まりが行われました。教区司祭も修道会や宣教会司祭も、小教区司牧で働くすべての司祭が、毎月一度カテドラルに集まり、まず大聖堂で昼の祈りをともにしてから、ケルンホールで研修などを行っています。なかなか全員がそろうことはないのですが、それでも多くの司祭が参加してくださっています。
今月の集まりでは、先般叙階された新司祭の中から、東京で働いている5名が来てくださり、それぞれの抱負などについて分かち合った後、小グループに分かれて、先輩の司祭たちと、司牧の課題やこれからの展望について分かち合いのひとときを持ちました。教区、修道会と、それぞれ働く場所や役割は異なりますが、日本における、また特に東京における福音宣教のために働くというところでは一致しています。これからの活躍に期待したいと思います。いまは小教区の兼任も増えており、心身ともに多くのストレスに直面する司祭も少なくありません。どうか、どうか、司祭のためにお祈りくださいますように、お願いいたします。
火曜日と水曜日は、大阪まで出かけ、梅田にある大阪梅田教会(東京の梅田教会と区別するためこう呼ばれますが、一般には大阪の梅田教会)を会場に開催されていた、日本の男子修道会管区長会と女子修道会総長・管区長会の合同の総会で、お話をさせていただきました。初日の火曜日には午後から教皇大使の講話と、開会ミサがあり、わたしは二日目の聖母の訪問の祝日のミサを司式し、そのあとに一時間程度のお話を午前と午後の二回させていただきました。テーマは、もちろん、シノドスです。わたしは講話が終わってすぐ、木曜日に東京で会議があるため大阪を離れましたが、総会は、火曜日から金曜日までの日程で行われ、修道者・奉献生活者の担当である山野内司教様が、すべての日程に参加されました。
木曜日はいつものように常任司教委員会と、東京カトリック神学院の常任会議。金曜日は午前中に司祭生涯養成委員会の会議と、その後に銀座で聖書協会の財務委員会。
会議が続いた一週間でした。なおこの間に、6月1日付で東京教区ニュースが発行されています。その一面には、今回わたしが国際カリタスの総裁に選出されたことに関するインタビュー記事が掲載されています。ご一読いただければ幸いです。また様々な教区の働きや、ケルンとミャンマーとの関係、さらにはシノドスについての記事、坂倉神父様の訃報なども掲載されていますが、もうひとつ、カトリック美術展の記事が掲載されています。毎年この時期に、カトリック美術協会が主催して、有楽町のマリオンにあるギャラリーで開催しています。今回で67回目です。こちらの記事もご一読いただけると幸いです。来年の開催も決まっています。2024年は5月17日から22日です。
以下、3日午後6時配信、週刊大司教第127回、三位一体の主日のメッセージ原稿です。
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三位一体の主日
週刊大司教第127回
2023年6月4日前晩
ミサを捧げるとき、司祭は十字架の印の後に、「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、みなさんとともに」と呼びかけます。
この言葉は、パウロが、コリントの教会に宛てた書簡を締めくくった言葉です。コリントの共同体への様々な忠告や教えに満ちあふれた書簡を、パウロのこの祝福の言葉で締めくくります。
そして今を生きるわたしたち教会は、その締めくくりの言葉から、感謝の祭儀を始めます。すなわち、現代を生きる教会は、感謝の祭儀のために共同体として集まるたびごとに、パウロが締めくくった地点から、常に新たなスタートを切っています。
教会は、主イエスの恵みにあずかり、神の愛に満たされ、聖霊に導かれて、聖徒の交わりのうちに、日々新たに生かされていきます。自ら創造されたたまものであるいのちを生きる人間を、独りたりとも滅びの道に捨て置くことはありません。神の愛における決意は、この三位一体の神を表す言葉に満ちあふれています。三位一体の神秘とは、これでもか、これでもかと、ありとあらゆる手を尽くして愛を降り注ぐ、神の愛の迫力を感じさせる神秘であります。
わたしたちを共同体の交わりへと導く聖霊は、教会に常に新しい息吹を吹き込んでいます。わたしたちは、過去に戻りません。
教皇フランシスコは、「福音の喜び」にこう書いておられました。
「宣教を中心にした司牧では、『いつもこうしてきた』という安易な司牧基準を捨てなければなりません。皆さんぜひ、自分の共同体の目標や構造、宣教の様式や方法を見直すというこの課題に対して、大胆かつ創造的であってください。」(33)
わたしたちは、「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わり」によって、繋がれています。ですから、わたしたちはどこにいても、常に、教会です。
「兄弟たち、喜びなさい」とコリントの教会に呼びかけたパウロは、「思いを一つにしなさい」と諭しています。わたしたちが語るキリストの体における一致は、同じことをおなじように考えて、おなじように行動する、一緒とは違います。聖霊はわたしたち一人ひとりに異なるたまものを与えられた。その聖霊のたまものを忠実に生かし、聖霊の交わりの中に生きるとき、わたしたちは異なる場で異なることをしていても、同じ聖霊に満たされ導かれることで、一致しています。
主キリストの恵みに満たされ、御父の愛に包まれ、聖霊の導きにともに身を委ねることで、一致のうちにある教会でありましょう。