大司教

週刊大司教第八十二回:年間第十三主日

2022年06月27日

梅雨になったかと思ったら、今日は真夏の陽気です。熱中症には気をつけましょう。

6月23日は沖縄慰霊の日でした。コロナ禍以前には、この日に那覇教区では平和行進が行われ、私も参加したことがありましたが、この三年間は他の機会を設けて平和のための祈りがささげられています。この日にあたって司教協議会の「正義と平和協議会」から、担当のウェイン司教様(那覇教区)とガクタン司教様(仙台教区)の連名のメッセージが出ています。

1945年6月23日に司令官であった牛島中将が自決したことで、組織的戦闘は終わったと言われますが、その日を境に戦争が終結したわけではなく、さらには戦後の歴史を振り返れば沖縄の方々の苦難は、今に至るまで終わっていません。沖縄の地で命を失った多くの方々の安息を祈り、また特に戦争が現実の存在として影響を及ぼしている今年は、平和のためにあらためて祈りたいと思います。

戦争があらためて現実の存在となりいのちを脅かしている状況を目の当たりにして、もちろん平和のために祈ることは最優先に必要ですが、同時にそこに至るまでの状況を振り返ってみることも、将来に対して必要だと思います。第二次世界大戦を経て、世界の平和と秩序の確立のために国際機関が設けられ、様々な外交努力の道筋が確立され、さらには東西の冷戦時代を乗り越えてきたにもかかわらず、それらが機能せず、今の事態に陥ったのはなぜなのか。時間的に先のことを考えるのも大切ですが、どうしてうまく機能していないのかを振り返ってみなければ、全てを暴走したリーダーの存在で片付けてしまう可能性があります。しかし暴走したリーダーの存在「だけ」が原因ではなかったことは、この十数年の体験から(例えばイラクやリビアなど)明らかであると思われます。歴史や政治の専門家による振り返りを期待しています。

世界の平和に関連して、世界宗教者平和会議(WCRP)と言う組織があります。そのホームページにはこう記されています。

「WCRPの歴史は、1970年に京都で開催された「第1回世界宗教者平和会議」に始まります。300名以上もの宗教者が一堂に会したこの会議では、宗教者の出会いと対話を促進し、平和のための宗教協力の原点を確立しました。そして、この会議の結実である京都宣言を具体化し、継続させていくための国際組織としてWCRPが設立されました。現在は世界最大級の諸宗教ネットワークとして活動しています」

WCRPの日本委員会は1984年に財団法人格を取得し、2012年には公益財団法人格を取得しています。創設の歴史から現在も立正佼成会の方々が中心になって活躍されていますが、多くの宗教団体がメンバーとして参加しております。現在の日本委員会会長は立正佼成会の庭野⽇鑛師、理事長は聖公会の植松誠主教が務めておられます。日本のカトリック教会も長年にわたって協力関係にあり、東京、大阪、長崎の大司教が役員として参加しています。このたび、高見大司教の教区司教引退に伴い、6月21日の評議員会での議決を経て、長崎の中村大司教が新しく理事に、私が理事から評議員に移り、高見大司教は参与となられることに決まりました。また前田枢機卿は顧問として継続です。国内の様々な宗教団体の方々と協力しながら、世界平和の実現のために取り組んでいきたいと思います。

以下、25日午後六時配信、週刊大司教第82回年間第13主日のメッセージ原稿です。
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年間第13主日
週刊大司教第82回
2022年6月26日前晩

列王記は、エリヤが主からの命令に従い、自らの後継者であるエリシャを召し出す様子を伝えています。エリヤとエリシャにとって人生の大きな転換点であるにもかかわらず、全てが粛々と、というよりも、淡々と進められていった様が記されています。神の聖霊の導きに対して、二人が完全に信頼を寄せているからにほかなりません。

ガラテヤ人への手紙でパウロは、キリストによって罪の枷から解き放たれ、自由の身となったのだから、奴隷のくびきに再び繋がれることのないようにと諭します。パウロは、そのために必要なことは、「霊の導きに従って歩」む事だと指摘します。

ルカ福音は、イエスの言葉に従って歩む者に、徹底的な決断を促す言葉を記します。

「鋤に手をかけてから後ろを顧みる者は、神の国にふさわしくない」

現実の社会で生きているわたしたちにとって、かなり厳しい言葉でもあります。

そもそもわたしたちの人生は、すべからく選択の連続です。大なり小なり、わたしたちは常に選択に直面し、その都度、進むべき道を選びとるために決断を迫られます。もちろん自信を持って行う選択もあるでしょう。しかし、先を見通すことが難しい状況にあっては、どうしても不安が先に立ち、決断にも躊躇してしまうことがしばしばあります。まさしくそういったときに、わたしたちは「鋤に手をかけ」たは良いものの、不安に駆られて「後ろを顧み」てしまいます。

第二バチカン公会議の教会憲章は、「聖なる方から油を注がれた信者の総体は、信仰において誤ることができない」と記し、その特性は、「司教をはじめとして全ての信徒を含む信者の総体が信仰と道徳のことがらについて全面的に賛同するとき、神の民全体の超自然的な信仰の感覚を通して現れる」と記します(12)。

いま教会がともに歩んでいるシノドスの道も、この信仰の感覚に教会共同体が信頼を寄せ、聖霊の導きに全幅の信頼を寄せながら、その導きに身を委ねることの重要性を強調します。その上で、シノドスの準備文書は、「霊の働きを通して、使徒たちに由来するこの聖伝は、……教会の中で進展し、それによって神の民は、伝えられた事物やことばの理解の中で成長できる」としるします。

わたしたちは、洗礼を受ける事によってキリストの身体に結ばれ、聖体をいただくことによって一致の交わりに招かれています。わたしたちが一致のうちに結ばれるキリストのからだである教会共同体は、聖霊によって導かれています。わたしたちは、すでに鋤に手をかけています。教会共同体の信仰の感覚に信頼し、教会が示す誤りのない道を、勇気を持って、しかし淡々と、前に向かって歩み続けていきたいと思います。

6月24日金曜日はイエスのみこころの祝日でした。6月はイエスのみこころの月でもあります。全人類に対する神の愛といつくしみを象徴するのは、イエスのみこころです。その深い愛といつくしみのみこころでわたしたちを包み込み、まもり導いてくださる主の思いに信頼することで、聖霊の導きを、この世の価値観や自分自身の独善的なおもいと比較するような誤った選択をすることのないようにしましょう。そのためにも、教会に働かれる聖霊の導きをわたしたちに感じさせる、教会に満ちあふれる信仰の感覚を大切にしたいと思います。

6月29日は、聖ペトロ聖パウロの祝日です。この偉大な2人の使徒の働きに思いを馳せると同時に、わたしたちを導かれるペトロの後継者である教皇様のためにお祈りいたしましょう。