大司教

週刊大司教第五十五回:待降節第二主日

2021年12月06日

待降節第二主日は、宣教地召命促進の日とされています。

この日について、中央協議会のホームページには、こう記されています。

「キリストを知らない人に救いの福音を伝えることは、キリスト者一人ひとりに課せられた使命であり、神からの呼びかけにこたえること(召命)です。それゆえ、宣教地である日本において、すべての信徒がその使命を果たせるよう、また宣教に従事する司祭・修道者がよりいっそう増えるよう祈ることは、とても大切なことです。この日、わたしたちは、世界中の宣教地における召命促進のために祈り、犠牲をささげます。当日の献金はローマ教皇庁に集められ、全世界の宣教地の司祭養成のための援助金としておくられます」

世界の一体どこが宣教地であるのかは、難しい問題です。客観的に見れば、すべての人が洗礼を受けているわけではないので、世界中すべての地域が宣教地であることは間違いありません。しかしここで宣教地と言われているのは、主に福音宣教省が管轄している地域と考えられ、この日の特別献金を集約し配分する担当も、福音宣教省が実務を担当する教皇庁宣教事業・使徒聖ペトロ会とされています。なお日本におけるこの活動の担当者は、東京教区の門間直輝神父様です。中央協議会のホームページに、門間神父様からの呼びかけ文が掲載されています。そして、日本はもちろん福音宣教省の管轄下にあり、宣教地です。

使徒聖ペトロ会は、宣教地における司祭養成のための支援を目的としていますが、日本の教会はこの会自体の創設に深く関わっています。19世紀後半に、日本での再宣教を進めるにあたり邦人司祭養成が急務であると考えたパリ外国宣教会のアルフォンス・クザン長崎司教が、フランスのジャンヌ・ビガー 女史らに支援を求める手紙を書いたのが1889年6月1日で、これが使徒聖ペトロ会の始まりとされています。

日本での召命のために、また世界中での召命のために、お祈りとご支援をお願いいたします。

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教皇大使レオ・ボッカルディ大司教は、12月2日夕方に東京カトリック神学院を訪問され、同神学院の保護の聖人である聖フランシスコ・ザビエルを記念して、神学生たちとミサを捧げました。ちょうど神学院の運営にあたる司教委員会が開催されたので、同委員会メンバーの大塚司教、梅村司教、白浜司教、そしてわたしも一緒にミサを捧げました。(写真は、神学院聖堂に向かって建つザビエル像)

大使は神学院へのお土産に、その昔、聖フランシスコ・ザビエルが日本に派遣されたときの教皇文書の写しを持参され、そこに教皇の代理としてと言う言葉があることから、ミサ後にその写しを見せてくださり、第一号の日本への大使はザビエルだったと、力説されておられました。大使はその後、神学生の食事に加わり、交流のひとときを過ごしてお帰りになりました。コロナ禍で、着任以来、まだ日本の教会の訪問ができず、信徒の皆さんとの交流も持てないことを大変残念がっておられます。イタリア出身のボッカルディ大使は、ご自分で作曲したり歌ったりが大好きな方で、教会の皆さんとの交わりを大変楽しみにしておられますので、状況が改善すれば、大使の小教区訪問なども計画できるかと、期待しています。

以下、4日午後6時配信の、週刊大司教第五十五回のメッセージ原稿です。
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待降節第二主日
週刊大司教第55回
2021年12月5日前晩

洗礼者ヨハネの出現を伝えるルカ福音は、イザヤ書を引用しながら、ヨハネの先駆者としての役割を明確にします。福音は、洗礼者ヨハネは「荒れ野で叫ぶもの」と記しますが、「主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ」と叫ぶその声が、救い主である主の到来を準備させるためであり、それによって、「人は皆、神の救いを仰ぎ見る」と記します。

救いの完成を求めて主の再臨を待ち望む私たちは、現代社会にあって「主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ」と呼びかける声となるよう求められています。

混沌とした事象が複雑に絡み合う現代社会の現実にあって、主を迎える準備を整えよと叫ぼうとする私たちには、「本当に重要なことを見分けられる」目が必要です。パウロはフィリピの教会への手紙で、そのためにはわたしたちが、「知る力と見抜く力とを身につけて」愛を豊かに深めることが必要だと指摘します。先駆者としての役割を果たすにあたって「神の言葉が荒れ野でザカリアの子ヨハネに降った」ように、私たちも神の言葉によって心が満たされるように聖霊の導きを祈り続けなくてはなりません。

現代社会にあって「主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ」と叫ぶ役割は、キリストに従うすべての人に求められているとは言え、同時にそのために生涯を捧げる人の存在も不可欠です。

教会は12月の最初の主日を、宣教地召命促進の日と定めています。

この日わたしたちは、「世界中の宣教地における召命促進のために祈り、犠牲をささげます」。またこの日の献金は「教皇庁に集められ、全世界の宣教地の司祭養成のための援助金としておくられ」ることになっています。もちろん日本は今でもキリスト者が絶対的な少数派である事実から宣教地であることは間違いなく、その意味でも、日本における福音宣教を推進するための働き手の存在は不可欠です。同時に、司祭一人あたりの信徒数から言えば、アジアやアフリカの教会と比較しても、実際には司祭数は多い教会でもあります。もう30年も前のことになりますが、わたし自身、アフリカのガーナの小教区で働いていた頃、一人で20を超える教会共同体を担当していました。教会は、司祭を始め福音宣教に生涯を捧げる人を必要としています。荒れ野にあって、「主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ」と声を上げる存在が必要です。洗礼者ヨハネのように、「本当に重要なことを見分けられる」目を持ち、勇気を持って困難に立ち向かう存在が必要です。

この一年を聖家族の長である聖ヨセフの年と定められた教皇様は、今年4月の世界召命祈願日のメッセージで、聖ヨセフの生涯を貫く特徴的な生きる姿勢に触れ、その中で、忠実であることに関して、こう記されています。

「聖ヨセフの生涯とキリスト者の召命を貫き、日常生活を漠とはしないもの。忠実です。ヨセフは「正しい人」で、日々の労働を黙々と続け、神とその計画に粘り強く従うかたです。とくに困難なときには、「あらゆることを考え」ています。熟慮し、熟考し、焦りにとらわれず、性急に結論を出す誘惑に負けず、衝動に流されず、近視眼的な生き方をしません。何事にも根気強く励みます。最高の選びに忠実であり続けることによってのみ、人生は築かれると知っているのです」

教皇様は聖ヨセフに倣って生きるようにと、この一年を聖ヨセフの年と定められ、間もなく12月8日に特別年は終了します。宣教者の召命を考え祈るこの日、洗礼者聖ヨハネと聖ヨセフという二人の生き方を黙想し、それに倣って、勇気を持ってまた忠実に、福音を告げましょう。