また教皇様は、今年から世界青年の日を、これまでの受難の主日から王であるキリストの主日に移行されました。さらに、11月の第三の主日にあたるので、東京教区はこの日が恒例の「ミャンマーデー」となります。先日来繰り返していますが、ミャンマーの安定と平和のために祈りましょう。さらにこれまで同様、ミャンマーの教会を支えるために、特に神学生の養成のために献金をお願いします。
すでに小教区には公示を発送しましたが、現在、新規の検査陽性者数が激減した状態が続いており、また政府にあっても行動制限のあり方の見直しをするとの報道もあり、教区の感染対策において多少の緩和を決定し、待降節第一主日から実施します。
主には、これまでミサ中の聖歌歌唱などが全くなくなっていた教会もあるところ、基本的に聖歌を元に戻します。できる限り聖歌隊など一部の方の歌唱を基本としますが、換気が充分で空間があるところでは、皆で一緒に聖歌を歌うことも可能とします。ただしマスクはしっかりと着用ください。
さらにミサの応唱や祈りを一緒に唱えることを中止していましたが、これを再開し、皆で応えたり祈ったりできることとします。少しの緩和ですが、状況が悪化しない限り継続し、クリスマスに向けて、一緒に心安く祈ることができればと思います。ただし状況はまだ不確定な要素がありますから、これまで通り、感染対策は継続するようにお願いいたします。
以下、20日午後6時配信の週刊大司教第53回目のメッセージ原稿です。
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王であるキリスト
週刊大司教第53回
2021年11月21日前晩
ヨハネ福音は、この世の権威が支配する国家の構造と、神の国、すなわち神の支配が、全く異なる実体であることを語るイエスの姿を記しています。わたしたちの王であり、すべてを支配する世界の王であるイエスは、今まさにご自分のいのちを奪おうとするこの世の権力を前にして、毅然とした態度でぶれることなく「真理」を語られます。神の支配は神の秩序の確立であり、真理による支配であり、人間の欲望や知識に基づいたこの世の権力が支配する国家とは異なることを、イエスはピラトに向かって宣言されます。
ヨハネの黙示は、すべての人への愛のために、自らの血をもって、すなわち十字架における死をもって、わたしたちすべてを罪から解放された方が、その恵みと平和をもってすべてを支配していると述べ、「罪と苦しみと死に対する勝利」こそが神の支配の実現によって到来するのだと指摘します(カテキズム要約314)。
「キリストのみ国は教会のうちにすでに現存しているとはいえ、まだ、王であるキリストが地上に来臨し、『大いなる力と栄光』とを持って完成されるには至っていません。・・・ですから、キリスト者は、特に感謝の祭儀の中で、キリストの来臨を早めるために、『主よ、来てください』と祈るのです」とカテキズムは記し、旅する教会が世界に対して、神の支配のあるべき姿を自らの姿を通じて示し続けることの重要性を説いています(671)。
愚かにも互いのいのちを奪い合い、利己的な野心や欲望に突き動かされて争いを続ける人間に対して、神はそれでもこの不出来な我々を闇に捨て置くことなく、愛を注ぎ続け、その愚かな罪のすべてを赦すために自らを十字架のいけにえとしてささげられた。この世の権力者は、自分ではなく他の誰かのいのちの犠牲や誰かの苦しみによって、野望を成し遂げようとするのでしょう。しかし真理の王は、自ら進んで苦しみを背負い、自らの言葉と行いでその愛をあかしされる。
神がすべての支配者だと信じるわたしたちは、神が望まれる世界の構築を目指して行かなくてはなりません。神が望んでおられるのは神の真理が支配する国、すなわち神の秩序が完全に実現している世界です。それこそが本当の意味での平和な国であります。
教皇様は今年から、世界青年の日を、これまでの受難の主日から、王であるキリストの主日へ移動されました。教皇様は今年のテーマを、使徒言行録26章16節から取った、「起き上がれ。あなたが見たことの証人として任命する」とされています。メッセージの中で教皇様は、パウロの回心の話に触れた後で、「洗礼によって新しいいのちに生きることになったわたしたちに、主は重要で人生を変えるような使命を与えられます。『あなたはわたしの証し人となる』」と、特に青年たちに呼びかけます。
もちろんこの呼びかけは青年たちだけに向けられたものではなく、すべてのキリスト者に向けられた呼びかけです。この世界を支配する価値観と神の支配は異なると、言葉で言うのは簡単ですが、それではわたしたちはその神の支配が実現しているはずの教会で、何を体験しているでしょう。共同体の交わりは喜びと希望を生み出しているでしょうか。互いの尊敬のうちに対話を生み出しているでしょうか。正義と平和を実現し、助けを求める人に手を差し伸べているでしょうか。共通の家である地球とすべてのいのちを守っているでしょうか。わたしたちの教会は、キリストは生きていると告げているでしょうか。真摯に振り返ってみましょう。