大司教

週刊大司教第十一回:年間第二主日

2021年01月16日

降誕節が終わり、典礼の暦は「年間」が始まっています。今年は1月17日の日曜が、年間第二主日となります。

緊急事態宣言が発出されていますので、健康に不安のある場合は、無理することなく行動くださるようにお願いします。また、自分が感染しないだけではなく、他者を危険にさらすようなことのないように、慎重な行動をいたしましょう。

通常の教会の活動が難しい状況にありますが、出来ないからダメだと後ろ向きになることなく、この状況の中で、どのようにしたら信仰をより良く生きることが出来るのか、霊的絆を保つために何が出来るのか、互いに知恵を絞ってみましょう。

なお1月18日から25日までは「キリスト教一致祈祷週間」とされています。今年のテーマは、「わたしの愛にとどまりなさい。そうすれば、あなたがたは豊かに実を結ぶ。」(ヨハネ15・5-9参照)とされています。歴史ある祈りの週間ですが、今年はコロナ禍のために、祈祷集会を実際に開催することが難しいと思われます。この一週間の間、異なる派に分かれているキリストの弟子たちが、思いを一つにして、神の福音を告げていくことが出来るように、お祈りください。詳しくは、中央協議会のホームページへ。 

以下、土曜日夕方に公開した「週刊大司教」第十一回目のメッセージ原稿です。ご家庭でお祈りされる場合には、霊的聖体拝領の一助としてご利用ください。
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年間第二主日
週刊大司教第11回
2021年1月17日前晩

「来なさい。そうすれば分かる」

この一言を信じて、ヨハネの二人の弟子はイエスについて行きました。その晩、イエスとどのようなやりとりがあったのかは記されていませんが、少なくとも翌日、自分の兄弟の人生を変えるような決断を促すほどの、大きな出会いとなりました。

わたしたちは、どちらかといえば、論理的に納得したいと思っています。子どもの頃には口論になると、負けたくない一心で『証拠を見せろ』と言ってみたり、大人になった今はSNSが発達して誰でも情報を発信する洪水の中で、『エビデンスを示せ』と迫ってみたりします。いくつになっても、信じるためには納得できるだけの証拠がほしいのです。わたしたちは本性的に疑り深いのだろうと思います。

サムエル記は、少年サムエルがたびたび神からの呼びかけを受けた話を記し、それに対して祭司エリが、「どうぞお話しください。しもべは聞いております」と答えるように勧めた話を記します。祭司エリは、決して声の主に、「お前は誰なのか、証拠を見せろ」と迫ることではなく、耳を傾けその語る言葉に心を開くようにと諭します。その時はじめて神の声が心の耳に到達します。

イエスについて行ったヨハネの二人の弟子も、納得できる証拠を求めるのではなく、イエスの存在と語る言葉を心に感じたことで、イエスがメシアであることを確信しました。福音には「どこにイエスが泊まっておられるかを見た」と記され、また「イエスのもとに泊まった」と記されていますが、イエスが何者かを知るために議論をしたとは記されていません。それは「どうぞお話しください。しもべは聞いております」と言う態度に通じるものです。

わたしたちは言葉があふれかえっている世界に生きています。インターネットの時代ですから、そのように取り囲まれざるを得ません。その中で、静かに心を開き、神の声に耳を傾ける時をもつことは、大切なひとときであると思います。

教会は、1月18日から25日までを、キリスト教一致祈祷週間と定めています。この日付となったのは、こういった一致祈祷が最初に提起された1908年に、当時ペトロの使徒座が祝われていた1月18日からパウロの回心の25日までという、キリスト教の発祥に深く関わる聖ペトロと聖パウロという二人の偉大な聖人を象徴として、キリスト者の一致を祈り求めるためであったと伝えられています。なお現在の典礼暦では、ペトロの使徒座は2月25日に移動しています。

毎年、一致祈祷週間のためのテーマが教皇庁キリスト教一致推進評議会と世界教会協議会(WCC)によって選ばれ、手引きの小冊子が発行されています。今年のテーマはヨハネ福音から「わたしの愛にとどまりなさい。そうすれば、あなた方は豊かに実を結ぶ」とされています。

今年の小冊子はテーマを解説し、「霊性と連帯は分かちがたくつながっています。キリストにつながっていれば、不正義と抑圧の構造に対抗するための、人類家族の兄弟姉妹であることを真に自覚するための、さらには、すべての被造物と敬意を持って交わるという新しい生き方を生み出すための、力と知恵を受けることが出来ます」と記しています。

わたしたちは霊的な祈りにおける連帯の内に、互いに心を静かにし、神の声に耳を傾けたいと思います。「どうぞお話しください。しもべは聞いております」という姿勢で、互いの連帯を深め、御父からの力と知恵をいただき、信仰において強められましょう。