大司教

2025年 四旬節 菊地功枢機卿メッセージ
2025年03月05日
2025年 四旬節の始まりにあたって
希望の巡礼者としての歩みを勧めている聖年の今年、復活祭は4月20日になりますので、四旬節も例年より遅く始まりました。3月5日の灰の水曜日から、四旬節となりました。
四旬節は、毎年与えられている信仰におけるチャンスです。どういうチャンスなのかと言えば、心を落ち着け、神様の方向をしっかりと向いているかどうかを振り返り、軌道修正をするためのチャンスです。春が近づき、また4月からの新年度を迎える時期であって、どうしても心は落ち着かずあっという間に時間が過ぎてしまう時期でもあります。その時期にあえて教会は、心を落ち着け、立ち止まり、しっかりと信仰の振り返りをしようと呼びかけています。
教会の伝統は、四旬節を過ごすにあたって「祈りと節制と愛の業」という三つの行動を常に心に留めながら、信仰を見つめ直す旅路を歩むようにと勧めています。とりわけ愛の業について教会は、四旬節の間に助けを必要としている隣人、中でも多くの人からその存在を忘れられているような方々に心を向け、特別な献金をするようにも呼びかけています。日本の教会ではこの四旬節献金をカリタスジャパンに委託しています。四旬節愛の献金は、隣人のために自らを犠牲としてささげる心をもって行う、具体的な愛の業そのものです。
またその犠牲の心を持ってわたしたちは、いのちの危機に直面し助けを必要としている多くの人たちに心を向け、具体的な意味でともに歩む者となります。互いに支えあう連帯の絆は、いのちを生きる希望のしるしです。希望は自然には生まれてきません。互いの関わりの中で支え合い、ともに歩む絆があって初めて心に生まれてくるのが希望です。わたしたちの信仰は、真の希望である御父に向かって進む、希望の信仰です。
毎年、四旬節は灰の水曜日で始まります。灰を頭に受けることには、自分の存在のはかなさを思い知る意味があります。人間という存在が、どれほどの富と権力を誇ったとしても、実際には神の前でいかに小さなものなのかを目に見える形で教えてくれるのは、灰です。この世界で権勢を誇っているものは、いつの日かすべて灰に帰って行きます。神の偉大な力の前で、わたしたち人類がどれほど謙遜に生きていかなくてはならないものなのか、心に刻みたいと思います。
教皇様は聖年の大勅書「希望は欺かない」に、今回の2025年聖年のロゴのイメージについて記しておられます。ロゴには船の錨と、それに捕まろうとする人たち、その足下には荒れる海の波が描かれています。
教皇様は、「錨のイメージが雄弁に示唆するのは、人生の荒波にあっても、主イエスに身を委ねれば手にできる安定と安全です。嵐に飲まれることはありません。わたしたちは、キリストにおいて生きて、罪と恐れと死に打ち勝つことができるようにする恵みである希望に、しっかりと根を下ろしているからです」と記しています。
わたしたちの共通の信仰の原点はそこにこそあります。死に打ち勝ったイエスにこそ、わたしたちの信仰の原点である希望があります。この四旬節に、あらためてわたしたちに共通する希望の源を見つめ直しましょう。
今年の御復活祭に洗礼を受けるために準備をしておられる方々にとって、四旬節は最後の仕上げの時でもあります。信仰の道のりは一人孤独に歩む者ではなく、主とともに、そして兄弟姉妹とともに歩む道のりです。互いに心を配り、この四旬節をともに歩むときといたしましょう。