大司教

寺西英夫神父様葬儀ミサ@東京カテドラル

2022年10月04日

9月26日朝に93歳で帰天された、東京教区司祭フランシスコ・ザビエル寺西英夫神父様の葬儀・告別式ミサが、9月30日午前10時半から、東京カテドラル聖マリア大聖堂で執り行われました。

寺西神父様の略歴については、こちらの教区ホームページをご覧ください。10年ほど前から現役を退かれて、ペトロの家で隠退生活を送っておられましたが、最後まで力強く、特別な介護を受けることもなく、昼食のビールと夕食のお酒を欠かさず、お過ごしでした。ただこの2年は、コロナ対策のため、信徒の方々の勉強会などもキャンセルになり、8月にはコロナに感染して短い期間でしたが入院もされ、体力が落ちていたところでした。

小教区主任司祭と神学院院長を経験されていますから、多くの方が影響を強く受けられたことだと思います。本日の葬儀ミサは、親族の方々と司祭団に限定されたミサでした。本来であれば、聖堂は一杯になったことだったろうと思います。盛大にお見送りができなかったこと、それが残念です。

なお今日のミサには、横浜教区の梅村司教様、そして幸田司教様のお二人も参加してくださいました。

寺西神父様の、永遠の安息を祈ります。

以下、葬儀ミサの説教原稿です。

フランシスコ・ザビエル寺西英夫師葬儀ミサ
東京カテドラル聖マリア大聖堂
2022年9月30日

御父のもとへと旅立たれた寺西英夫神父様は、東京教区の司祭として多くの教会で司牧にあたり、数多くの方々と信仰における霊的絆を深く結ばれました。また東京カトリック神学院の院長として東京教区のみならず、全国各地で働く司祭の養成に深く関わり、大きな影響を残されました。

小教区での出会いにしても、神学院での出会いにしても、1958年からの64年におよぶ司祭として奉献された人生でありましたから、東京教区の司祭・信徒をはじめとして、全国の多くの方がそれぞれの思い出を持ち、また心に刻まれたかかわりがあったことだと思います。

寺西神父様の永遠の安息を祈るこの葬儀ミサでも、そういった思い出をお持ちのどなたかに説教をお願いしようとも思いましたが、それぞれの思い出が数多くまた深くあることを思い、この数年間の短いかかわりではありましたが、わたしがお話をさせていただくことにしました。

寺西神父様は、1929年4月5日に誕生されていますから、今年の誕生日で93歳となっておられました。この10年近く寺西神父様もお住まいであったペトロの家では、お住まいの神父様方のために、毎年の誕生日の夕食にちょっとしたごちそうを用意して誕生会をしています。寺西神父様には、必ずお気に入りのワインやお酒を持ってこられ、皆に振る舞って回るのが、誕生会の恒例でした。その食事の最後に必ずローソクがともされたケーキが用意されています。わたしもできる限り参加して、ロウソクの火を吹き消される神父様方の写真を撮っているのですが、あらためて寺西神父様が誕生ケーキを前にしている写真を数年分見ましたが、ご存じのようにいつものように厳格な表情をされている写真ばかりでありました。

今年の「祖父母と高齢者のための世界祈願日」メッセージに、教皇様はこう記しています。

「老いて白髪になっても、主はいのちを吹き込み続け、わたしたちが悪に打ち負かされることがないようにしてくださいます。主を信頼するならば、ますます主を賛美する力を得(14—20節参照)、そうしてわたしたちは、年を取ることは、肉体の自然な衰えやどうにもならない時の経過であるだけでなく、長寿というたまものでもあると気づくでしょう」。

その上で、齢を重ねることの意味をこう記します。

「主の存在に気がつけるよう感覚を研ぎ澄ますことで、わたしたちは「神の家にある生い茂るオリーブの木」(詩編52・10参照)のように、そばで生きる人たちにとっての祝福となるのです」。

様々な役職から引退され、ペトロの家で過ごされていた寺西神父様も、その日々の生活を通じて、「生い茂るオリーブの木」のように、周囲に祝福を与えておられたと思います。

教皇様はメッセージの終わりで、特に高齢の方々に向かって、こう呼びかけています。

「今のこの世界においてわたしたちは、優しさ革命の担い手となるよう招かれています。わたしたちが手にしたもっとも尊い道具、わたしたちの年代にもっともふさわしい道具を、もっとたくさん、もっと上手に使うことを覚え、それを果たしていきましょう。その道具とは、祈りです」。

コロナ禍の中で、信徒の方々を集めてのお話などの機会が制限され、外へ出る機会も極端に減り、今年に入ってからは、日課とされていた構内の散歩も少なくなってきたと感じておりました。それでも93歳という年齢にもかかわらず、かくしゃくとされ、杖をつかれてはいましたが、朝のミサに始まり、食事にも出てこられ、昼にはビールを一缶、夕には日本酒を欠かさず、力強く生活を続けておられました。ただ、今年の4月の誕生日の写真を見て気がつきましたが、その頃から、徐々に力を失いつつあるようにお見受けしました。その中で、今年の8月半ばに新型コロナに感染され、短い期間でしたが入院されたことが、一段と神父様の体力を奪ってしまったのかと思います。もっとも最後まで特別な介護などを必要とされることもなく、9月26日の朝食に出てこられないことから、ペトロの家の職員が部屋を訪れると、すでに帰天されておられました。

人生のそれぞれの段階で、与えられたいのちの持つ力を十分に発揮し、与えられた使命を忠実に果たし、最後まで走り抜いた忠実な司祭の人生であったと思います。最後まで祈りの力を見せつけた人生であったと思います。司祭が生涯を通じて与えられた使命に忠実に生きる姿は、勇気を持って神からの呼びかけに応える姿を、模範として示しています。

司祭は叙階の秘跡によって、「最高永遠の祭司であるキリストにかたどられて、新約の真の祭司として、福音を宣教し信者を司牧し神の祭礼を執行するために聖別される」とカテキズムには記されています。すなわち司祭には、三つの重要な役割、すなわち「福音を宣教すること」、「信者を司牧すること」、そし「神の祭礼を執行する」と言う役割があります。

寺西神父様の司祭としての長年の働きも、福音を宣教し、信者を司牧し、神の祭礼を執行することに忠実な歩みであり、主イエスの存在を具体的にあかしする人生であったと思います。隠退生活を送るなかにあっても、生涯にわたってそのときにできる三つの務めすべてに忠実に生きる司祭の姿は、「生い茂るオリーブの木のように」、すべてのキリスト者にとって、特にわたしたち司祭にとっての模範であり、祝福です。

寺西神父様は2011年5月の教区ニュースのインタビューで、司祭生活を振り返って次のように語ったと記録が残されていました。

「戦争の前後の変化、60年安保のエネルギー、第2バチカン公会議による変化など、おもしろい時代を生きてきたな、と思うよ。今の時代は教会だけでなく、社会全体も閉そく感の中にあると思うし、大震災の復興という大きな課題と向かい合って行かなければならないけれど、一つのチャンスと受けとめたらいいね。僕は、今の状況よりもひどい状況を経験しているから、そう言えるよ。そのためには閉そく感に穴を開けるような工夫と気概が必要だし、でも同時にどこか少し離れた所から物事を見つめる余裕も大切にしないとね」

教会と社会の閉塞感は、10年前に比べてなおいっそう激しくなっているようにも思います。教会にあっても、社会にあっても、その閉塞感に穴を開けるような「工夫と気概」を、わたしたちは持ち合わせているでしょうか。同時に『少し離れたところから物事を見つめる余裕」を、心に持ち合わせているでしょうか。

この二年ほどのコロナ禍の中で、連帯は忘れ去られ、自らの命を守ろうとするがあまり、自分中心利己主義が、様々なレベルで深まってしまったように感じます。孤立と孤独も深まりました。閉じ込められてしまった中で、光を求めてもがいているのが現実です。心を落ち着けて、互いに手を繋ぎあい、連帯の中でその暗闇を打ち破る事が必要な時代にわたしたちはいま生きています。

限りない計らいのうちに、神は善なることを計画され、そのために司祭の人生をご自分がよしとされる方法で使われるに違いありません。わたしたちに先立って御父のもとへと旅立たれる先輩の司祭たちの生涯を振り返るとき、神様はその福音が少しでも広まり、ご自分が創造されたすべてのいのちが尊厳を守られ、救いに与るようにと、さまざまな配慮を、その司祭の人生を通じてなされていることに気がつかさせられます。

寺西英夫神父様の永遠の安息を祈ると共に、わたしたちもその模範に倣い、福音をあかしする道を歩んで参りましょう。