菊地大司教

    週刊大司教第七十六回:復活節第五主日

    復活節第五の主日となりました。

    この水曜日、衝撃的なニュースが香港の友人から飛び込んできました。3代前の香港司教である陳日君枢機卿様が、公安当局に逮捕されたというのです。陳枢機卿様は、御年90歳と高齢ですが、香港の民主化のために活動する人々を支え、自らも積極的に行動されていました。ですからその身の安全を慮る声は以前からありましたが、高齢の枢機卿ですから、バチカンとの関係を考えると手荒な選択はないだろうと思われていました。今回は、民主化運動に関連して身柄を拘束された人たちを資金的に支える基金の運営にかかわり、海外の勢力に通じていたとして、国家安全維持法違反で逮捕、拘束となった模様です。即座に保釈されましたが、パスポートを取り上げられているとのことで、今後どのような展開になるのか、ともに拘束された他の3名の方々と共に、注視したいと思います。香港の現在の司教様からもお祈りをとの依頼がありますので、ここは祈りの力をもって支援したいと思います。香港の平和と安定のため、また中国のために祈りましょう。

    個人的なことですが、陳枢機卿様とは、2002年に初めてお会いしました。その年に前任者が帰天され、陳枢機卿様は協働司教から教区司教となられて、即座にカリタス香港の見直しに手を付けられました。香港のカリタスはありとあらゆる社会での活動を包括し、学校もあれば社会福祉施設もあれば外国人支援もあれば宿泊施設まで運営している、巨大組織です。ちょうどそのとき私は、カリタスアジアの運営委員の一人として、東アジア担当だったので、即座に、香港に「呼びつけられ」ました。そこで二日間にわたって、いろいろと意見と事情の聴取をされたのが出会いです。

    それ以来今に至るまで、ご想像いただけるあの分野について、ありとあらゆることをご教示いただいています。枢機卿様のために、そして香港の教会のために、さらには中国にある教会のために、心からお祈りいたします。

    以下、14日午後6時配信の週刊大司教第76回のメッセージ原稿です。
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    復活節第五主日
    週刊大司教第76回
    2022年5月15日前晩

    5月は聖母の月です。5月13日はファティマの聖母の記念日でしたが、10月とともに5月には、聖母の取り次ぎを願って、ロザリオの祈りをささげるように勧められています。

    特に2020年以来、感染症の困難によっていのちの危機に直面する中で、教皇様はしばしば、聖母の取り次ぎ願って祈りをささげるようにと、わたしたちを招かれています。

    2020年4月26日には、「この試練のときを信仰と希望をもって乗り越えられるよう、聖母マリアが助けてくださいます」とアレルヤの祈りの時に述べて、五月中にロザリオの祈りを唱えるようにと招かれました。その上で、すべての信徒に手紙を送り、そこにこう記されています。

    「五月は、神の民がとりわけ熱心におとめマリアへの愛と崇敬を表す月です。五月には家庭で家族一緒にロザリオの祈りを唱える伝統があります。感染症の大流行によるさまざまな制約の結果、わたしたちはこの「家庭で祈る」という側面がなおさら大切であることを、霊的な観点からも知ることになりました。

    そこで、わたしはこの五月に、家庭でロザリオの祈りを唱えるすばらしさを再発見するよう皆さんにお勧めしたいと思ったのです。だれかと一緒に唱えることも、独りで唱えることも、どちらの機会も最大限に活用して、状況に応じて決めることができます。」

    加えて今年、感染症の状況が終息にまだ向かわない中で、わたしたちは今度は戦争の危機に直面しました。ウクライナへのロシアによる武力侵攻という暴挙の中で、多くの人がいのちを暴力的に奪われる事態を目の当たりにして、教皇様は聖母への祈りを強めるように呼びかけられました。

    1965年、特に世界平和のために聖母の取り次ぎを祈ってほしいと、教皇パウロ六世は呼びかけました。回勅「メンセ・マイオ」で、教皇は5月にロザリオの祈りをささげる伝統について、「五月は、より頻繁で熱心な祈りのための力強い励ましであり、わたしたちの願いがよりたやすくマリアのあわれみ深い心に近づく道を見いだすときです。教会の必要が求めるときに、あるいは人類が何か重大な危機に脅かされているときにはいつでも、キリスト者に公の祈りをささげるよう勧めるためこのマリアにささげげられた月を選ぶのは、わたしの先任者たちに好まれた習慣でした」と述べています。(3)

    感染症の状況と戦争の脅威の中に生きるとき、ヨハネ福音に記された主イエスの言葉が、心に強く響き渡ります。

    「互いに愛し合いなさい。互いに愛し合うならば、それによってあなた方がわたしの弟子であることを、皆が知るようになる」

    愛し合うためには、互いの存在を受け入れることが必要です。いのちの危機の中で、自己防衛の思いは、どうしても人間を利己的にしてしまいます。異質なものへの拒否感と排除の感情を強めます。個人のレベルでも、共同体のレベルでも、国家のレベルでも、自分を守ろうとするとき、わたしたちは排他的になってしまいます。だからこそいま、「互いに愛し合いなさい」という言葉が必要です。互いに心を開き、耳を傾けあい、支え合う連帯こそが、この状況から抜け出すために不可欠だと、教皇フランシスコはたびたび繰り返されます。福音を広く告げしらせることを第一の責務だと考えるのであれば、わたしたちは、互いに愛し合うために、心を開く必要があります。

    東京大司教タルチシオ菊地功