菊地大司教

    週刊大司教第七十三回:復活節第二主日

    復活節第二主日です。

    復活節第二主日は、神のいつくしみの主日とされています。主のいつくしみのメッセージはポーランドの聖ファウスティナ・コヴァルスカの受けた神のいつくしみに関するメッセージに基づくもので、聖ファウスティナは聖ヨハネ・パウロ二世教皇によって、2000年に列聖されています。なお聖人の聖遺物が、東京カテドラル聖マリア大聖堂の右手に、聖ヨハネ・パウロ二世教皇の聖遺物とともに、安置されています。聖堂右手のピエタ像の前です。

    以下、23日午後6時配信の週刊大司教第73回めのメッセージ原稿です。
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    復活節第二主日
    週刊大司教第73回
    2022年4月24日前晩

    復活節第二主日は、教皇ヨハネ・パウロ二世によって、「神のいつくしみの主日」と定められています。「人類は、信頼を持ってわたしのいつくしみへ向かわない限り、平和を得ないであろう」という聖ファウスティナが受けた主イエスのいつくしみのメッセージに基づいて、神のいつくしみに信頼し、その愛に身をゆだね、わたしたち自身が受けたいつくしみと愛を、今度は隣人に分かちあうことを黙想する日であります。

    1980年に発表された回勅「いつくしみ深い神」で、教皇はこう指摘されています。
    「愛が自らを表す様態とか領域とが、聖書の言葉では「あわれみ・いつくしみ」と呼ばれています」(いつくしみ深い神3)

    その上で、「この愛を信じるとは、いつくしみを信じることです。いつくしみは愛になくてはならない広がりの中にあって、いわば愛の別名です」(いつくしみ深い神7)と言われます。

    「あわれみ深い人々は幸いである、その人たちはあわれみを受ける」という山上の垂訓の言葉を引用しながら、「人間は神のいつくしみを受け取り経験するだけでなく、他の人に向かって、『いつくしみをもつ』ように命じられている」と指摘される教皇は、人類の連帯を強調されました。いつくしみに基づいた行動は、神からの一方通行ではなく、それを受けるわたしたちの霊的変革が求められるごとく、相互に作用するものだとも語ります。教皇は「人間的なものに対する深い尊敬の念をもって、相互の兄弟性の精神を持って、人と人との間の相互関係を形成していくために、いつくしみは不可欠の要素となる」と指摘しています。正義には愛が不可欠であることを、愛といつくしみが介在して始めて相互の連帯が生まれることを強調するヨハネ・パウロ二世は、教会が「多くの要素を持った人間関係、社会関係の中に、正義だけでなく、福音の救世的メッセージを構成している『いつくしみ深い愛』を持ち込む」ために働くよう求められました。(いつくしみ深い神14)

    教皇フランシスコの、東京ドームでの言葉を思い起こします。
    「傷をいやし、和解とゆるしの道をつねに差し出す準備のある、野戦病院となることです。キリスト者にとって、個々の人や状況を判断する唯一有効な基準は、神がご自分のすべての子どもたちに示しておられる、いつくしみという基準です」

    復活された主は、週の初めの日の夕方、ユダヤ人を恐れて隠れ鍵をかけていた弟子たちのもとへおいでになります。主は復活によって、死をもたらす悪に、神の愛といつくしみが打ち勝つことを示され、その上で、「平和があるように」、すなわち神の支配が弟子たちと常にあることを明確にして恐れを取り除きます。そして弟子たちを罪のゆるしのために派遣されました。罪のゆるし、すなわちイエスご自身がその公生活の中でしばしば行われたように、共同体の絆へと回復させるために、神のいつくしみによって包み込む業を行うことであります。

    福音に記されたトマスと主との関係は、神のいつくしみは完全な存在であり常にわたしたちに向けられているのに、それを拒むのは人間の側の不信仰であることを浮き彫りにします。信じようとしないトマスを、それでもイエスは愛といつくしみで包み込もうとなさいます。放蕩息子の父親に通じる心です。この世界には、神の愛といつくしみが満ちあふれています。互いに連帯し、支え合い、賜物であるいのちを尊重して生きるようにとわたしたちを招く、神の愛といつくしみに満ちあふれています。それを拒絶するのは、わたしたちの側の不信であり、怠慢であり、悪意であります。

    東京大司教タルチシオ菊地功