菊地大司教

    週刊大司教第六十八回:四旬節第二主日

    四旬節は第二週に入ります。復活祭に向けて、洗礼の最終的な準備をされている方々のために、この四旬節の間は特に祈りましょう。また洗礼志願者の方々とともに、わたしたち自身も信仰の歩みを振り返り、何を信じているのか、どうして信じているのか、信じているのであればどう生きるのか、あらためて見つめ直してみましょう。

    この一週間は、年に二度ほど開催される定例のFABC(アジア司教協議会連盟)の中央委員会会議の週でした。FABC中央委員会は、アジア各地の司教協議会会長で構成されています。今回私は、日本の司教協議会会長として、またFABCの事務局長(SG)として参加しました。

    会議はボンベイ(ムンバイ)で開催の予定でしたが、このような世界の状況ですので実際に集まることは難しく、オンラインを併用したハイブリッド会議です。最初の二日間は、FABCの各部局の責任者も入れての会議で、特に、今年の秋10月に予定されているFABC50年を記念する総会の準備についてが主要議題でした。FABC50年は2020年でしたが、当然この状況で2年間延期され、今回の秋の総会もハイブリッドになる模様です。開催地はバンコクが予定されています。もっともオンライン会議に対する否定的な意見も多くあり、できる限りタイに集まることが勧められる模様ですが、広いアジアですから、それぞれの地域の状況も異なり、実際にこの秋にどうなっているのかは分かりません。ただ逆にそれは準備をするバンコク教区に、非常に大きな負担を強いることになります。あと半年ほどしかないのに、具体的にどうなるのかが分からないのですから、準備のしようがありません。

    いずれにしろ、FABC自体がアジアの各地の教会でよく知られているわけでもありませんし、創立から50年経って、日本の教会でも、FABCの活動がそれほど知られていないのも事実です。また実際に関わっている司教たちには、アジアの教会のこれからの方針の策定という思いがありますが、アジアの教会全体で見れば、FABCが司教さんたちの内輪の団体と見なされている嫌いもあります。10月に予定されている総会が、これまでの歴史を振り返り、しっかりと評価を行い、今の時代に何ができるのか、見つめ直す機会になればと思います。

    以下、12日午後6時配信の週刊大司教第68回、四旬節第二主日のメッセージ原稿です。
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    四旬節第二主日
    週刊大司教第68回
    2022年3月13日前晩

    四旬節は、わたしたちが信仰の原点に立ち返るときです。その原点は、一体どこにあるのでしょうか。

    創世記は、まだアブラムと呼ばれていたアブラハムを神が選び、契約を結ばれた出来事を記しています。暗闇の中で天を仰ぎ、「星を数えることができるなら、数えてみるが良い」と告げられたアブラハムの驚きを想像します。現代の東京の夜空であれば、もしかしたらすべての星を数えてしまえるのかも知れませんから、それではなんとも情けない話ですが、創世記の時代の夜空ですから、まさしく満天の星であったことだろうと思います。逆に言えば、そのこと自体が、人間が築き上げた繁栄が、結局は神の存在を見えないものとしてしまっていることを象徴しているのかも知れません。アブラハムの信仰の原点は、暗闇に満天の星を眺め、未来に向けた想像を超えた約束を与えられ神と契約を結んだ、そのときの驚きであったと思います。

    パウロはフィリピの教会への手紙で、キリストの十字架にこそわたしたちの信仰の原点があることを強調し、信仰における旅路は、わたしたちをこの世での繁栄ではなく、本国である天の国へと導いていることを指摘します。

    ルカ福音は、イエスがペトロ、ヨハネ、ヤコブの眼前で栄光を示された御変容の出来事を記します。神の栄光を目の当たりにしたペトロは、何を言っているのか分からないままに、そこに仮小屋を三つ建てることを提案したと福音は伝えます。ペトロはその栄光の中にとどまりたかったのでしょうが、イエスは困難に向けて前進を続けます。福音はモーセとエリヤが共に現れたと記します。律法と預言書、すなわち旧約聖書は、神とイスラエルの民との契約であり、信仰と生活の規範でありました。そこに神の声が響いて、「これはわたしの愛する子。これに聞け」と告げたと記されています。イエスこそが旧約を凌駕する新しい契約であること、すなわちイエスに従う者にとっての信仰の原点であることを、神ご自身が明確にしました。

    わたしたちの信仰の原点は、イエスの言葉と行いにあります。教皇ベネディクト16世は、それについて、「信仰とは、何よりもまず、イエスとの深く個人的な出会いです。そして、イエスの近さ、友愛、愛を体験することです(2009年10月21日の一般謁見)」と述べています。

    四旬節は、信仰の原点、すなわちイエスとの個人的出会いに立ち返るために、御父のいつくしみに生きるようにと勧めます。いつくしみの具体的な行動の中でわたしたちは人と交わり、そこにいつくしみそのものである主がおられるからに他なりません。わたしたちは自らのあわれみ深い行動を通じて、また他者からのあわれみの業によって、そこにおられる主と出会います。わたしたちの信仰の原点の一つは、いつくしみの業、愛の業であります。

    先日3月11日で、東日本大震災から11年となりました。教会は、災害の前から地元に根付いて共に生きてきた存在として、これからも東北の地元の方々と共に歩み続ける存在です。教会の東北におけるこの11年間の歩みは、どこからかやってきて去って行く一時的な救援活動に留まらず、東北のそれぞれの地で、地域共同体の皆さんと将来にわたって歩みをともにする中で、いのちの希望の光を生み出すことを目指してきました。そこに主イエスがおられます。連帯と支え合いの交わりの中に、主イエスがおられます。具体的な人と人との交わりの中で、わたしたちは主と個人的に出会います。それぞれの信仰の原点を、見つめ直しましょう。

    東京大司教タルチシオ菊地功