菊地大司教

    週刊大司教第六十七回:四旬節第一主日

    四旬節第一主日です。

    四旬節について全体像を一つにまとめて解説している記事が、中央協議会のホームページにあります。こちらのリンクです。良くまとめられているので、是非ご参照ください。

    特にその記事の冒頭の典礼憲章の引用で、四旬節の持つ二重の性格が次のように強調されています。

    「四旬節の二重の性格が、典礼においても典礼に関する信仰教育においても、いっそう明らかにされなければならない。すなわち、とくに洗礼の記念または準備を通して、そして悔い改めを通して、信者は神のことばをいっそう熱心に聞き、祈りに励んで、過越の神秘を祝うために備えるのである」

    人数に違いはあれど、多くの小教区で、復活祭に洗礼を受ける準備をしておられる方がおられることと思います。四旬節は、わたしたち自身の信仰を見つめ直す回心のときであると同時に、新しく信仰の道を歩もうとして準備の最終段階に入った人たちと、ともに歩んでいくときでもあります。洗礼志願者の方々のために祈りましょう。四旬節第一主日には洗礼志願式が行われる教会もあることと思います。

    ウクライナの状況は変わりません。世界中で平和のための祈りが捧げ続けられています。世界の進む方向を大きく変えてしまう可能性すらある大国の行動です。灰の水曜日だけでなく、ウクライナの平和のために、また政治の指導者が聖霊の導きによって、共通善の実現のためのふさわしい道を見いだすことができるように、祈り続けたいと思います。

    以下、5日午後6時配信の週刊大司教第67回、四旬節第一主日のメッセージ原稿です。
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    四旬節第一主日
    週刊大司教第67回
    2022年3月6日前晩

    3月2日の灰の水曜日から、四旬節が始まりました。今日は四旬節第一主日です。

    四旬節は、わたしたちの信仰を見つめ直し、その原点に立ち返るときです。また御父のいつくしみを自らのものとし、それを多くの人に具体的に示す、あかしの時でもあります。

    教会の伝統は、四旬節において「祈りと節制と愛の業」という三つの行動をもって、信仰を見つめ直すようにわたしたちに呼びかけています。また教会は四旬節に特別な献金をするようにも呼びかけます。この献金は、犠牲としてささげる心をもって行う具体的な愛の業に他なりません。またその犠牲を通じてわたしたちは、助けを必要としている多くの人たちに思いを馳せ、傍観者ではなくともに歩む者になることを心掛けます。互いに支えあう連帯の絆のうちに、いのちを生きる希望を回復する道を歩みましょう。

    申命記は、イスラエルの民に原点に立ち返ることを説いています。神に感謝の捧げ物をするときに、自分たちがどれほどに神のいつくしみと力に護られてきたのかを、共同体の記憶として追憶する言葉です。神に救われた民の原点に立ち返ろうとする、記憶の言葉です。

    パウロはローマの教会への手紙に、「実に、人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われる」と記しています。申命記は、共同体の記憶に基づいたイスラエルの民に限定的な救いを記しますが、パウロはここで、神の救いはすべての人に向けられていることを明確にします。パウロは、復活された主イエスとの具体的な体験こそが、新約の民の共同体における共通の記憶であることを記します。わたしたちが立ち返る信仰の原点は、ここにあります。

    ルカ福音は、荒れ野における四十日の試みの話を記します。イエスは、いのちを生きるには極限の状態である荒れ野で悪魔のさまざまな誘惑を受けます。それは空腹の時に石をパンに変えることや、この世の権力と繁栄を手に入れることや、神に挑戦することでありました。すべてはこの世に満ちあふれている人間の欲望の反映であります。それに対してイエスは、申命記の言葉を持って反論していきます。共通の救いの記憶、すなわち共同体の信仰の原点に立ち返ることにこそ、この世のさまざまな欲望に打ち勝つ力があることを、イエスは明確にします。信仰共同体に生きているわたしたち一人ひとりは、立ち返るべき信仰の原点を共有しているでしょうか。

    四旬節の初めにあたり、教皇様はメッセージを発表されています。今年のメッセージのテーマは、ガラテヤ書6章の言葉で「たゆまず善を行いましょう。飽きずに励んでいれば、時が来て、実を刈り取ることになります。ですから、今、時のある間に、すべての人に対して、善を行いましょう」とされています。(ガラテヤ 6.9-10a)

    その中で教皇様は、四旬節こそ将来の豊かな刈り入れのために種を蒔くときであるとして、「四旬節はわたしたちを回心へと、考え方を改めることへと招きます。それによって人生は、本来の真理と美しさを得るでしょう。所有するのではなく与えることが、蓄えるのではなくよい種を蒔いて分かち合うことが、できるようになるのです」と呼びかけます。その上で教皇様は、「他の人のためによい種を蒔くことは、個人の利益だけを考える狭量な論理からわたしたちを解放し、行動に無償性ゆえの悠然とした大らかさを与えてくれます。そうしてわたしたちは、神のいつくしみ深い計画の、すばらしい展望に加わるのです」と記されています。わたしたちもこの四旬節に信仰の原点に立ち返り、良い種を蒔くものとなり、神のいつくしみの計画に与るものとなるよう努めたいと思います。

    東京大司教タルチシオ菊地功