菊地大司教

    週間大司教第六十五回:年間第七主日

    定例司教総会は、予定より半日早く、木曜日の午後には終了しました。その日は夕方に、ヨルダン大使と懇談。ヨルダンの現状と、難民受け入れの問題と、聖地巡礼へのお誘いのお話を伺い、今後の協力の方向性を確認しました。

    ヨルダンは国際カリタスの会議のために、以前アンマンを訪れたことがあります。そのときの司教の日記のリンクです。その際にも、ヨルダンが受け入れているシリアからの難民の現状を伺い、カリタスヨルダンの運営する難民受け入れ施設を訪問しました。

    前記事でお知らせしたように、今回の司教総会で、司教様たちの担当が更新となりました。私のように交代となった司教もいれば、留任や新任もあります。一覧は、中央協議会のこちらのホームページをご覧ください。すでにお知らせしたとおり、カリタスジャパンは成井司教様と、HIV/AIDSデスクは中村大司教様と、交代いたしました。

    以下、19日午後6時配信の週間大司教第六十五回、年間第七主日のメッセージ原稿です。
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    年間第七主日
    週刊大司教第65回
    2022年2月20日前晩

    「あなた方の父が憐れみ深いように、あなた方も憐れみ深い者となりなさい」

    ルカ福音はこう記して、イエスの弟子となる者はどのような生き方を基本とするべきなのかを説いています。憐れみ深さは、単なる性格としての優しさの問題ではなく、どのような生き方の姿勢を選択するのかの問題です。

    ルカ福音は、人の生きる姿勢について、この世の常識とは真っ向から異なる選択肢を掲げた後に、「人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい」と記します。この言葉は捉えようによっては、余計な親切の押し売りを招きかねない言葉でもあります。わたしがしてもらいたいことが、必ずしも他者にとっても喜ばしいことであるとは限らないのは、考えてみるまでもなく当然です。であるならば,この言葉はいったいわたしたちに何を求めているのでしょう。

    わたしたち自身は、自分が何をしてほしいのかを、どうして知っているのでしょう。わたしたちは自分自身を大切に思い、自らの身体と心の声に真摯に耳を傾けるからこそ、自分自身にとって何が必要なのかを識別することができています。多くの場合、その識別の作業は、あたかも当たり前のように毎日の生活で行われるので、その大変さに気がついていないだけなのかも知れません。「人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい」という言葉は、わたしたちに隣人への思いやりの心を求めます。隣人の声に耳を傾ける姿勢を求めます。隣人の命の尊厳を尊重し、その命が十全に生きることができるように、連帯することを求めています。

    ルカ福音はまた、「あなた方は敵を愛しなさい」というイエスの言葉を記します。単に隣人への思いやりの心を持つだけでなく、自らに敵対し攻撃してくるものにも愛の心を向けることは、容易なことではありません。サムエル記は、サウルが王位を奪われる恐怖から、神が選んだ後継者であるダビデを亡き者にしようとしたことを記しています。ダビデにとって、自らの身を守るためにサウルの命を奪う機会が与えられたにもかかわらず、サウルが神に選ばれたものであったという理由から、ダビデは自らの敵に愛のまなざしを向けました。ダビデはまさしく、「あなた方の父が憐れみ深いように、あなた方も憐れみ深いものとなりなさい」という神の言葉を生きる者でした。自らが、御父によってゆるされたものであるという深い自覚が、敵を許し愛するする行動へと駆り立てます。

    「人を裁くな」とイエスは言われたと、ルカ福音は記します。わたしたちはそもそも簡単に他者を裁く存在です。あたかも自分により正義があるかのような勘違いをしながら、幾たび人を裁いてきたことでしょう。正義はどこにあるのでしょうか。とりわけこの二年間、感染症の暗闇の中で疑心暗鬼に捕らわれたわたしたちは不安のあまり寛容さを失い、簡単に他者を裁いては自らの心の安定を取り戻そうとしています。わたしたちは、「自分の計る量りで計り返される」ことを心に留めておかなくてはなりません。

    「あなた方の父が憐れみ深いように、あなた方も憐れみ深いものとなりなさい」と言う言葉は、今年の2月11日、世界病者の日のテーマでもありました。教皇様はメッセージで、「あわれみとは神の別名であり、それは偶発的に生じる感情としてではなく、神のすべてのわざの中に存在する力として、神の本質を表しています。それは強さであり、同時に優しさでもあります」と記します。神に従って生きることを誓っているわたしたちは、神の本質であるあわれみを身に帯びて、強くなりながらも、優しさに満ちあふれた存在でありたいと思います。

    東京大司教タルチシオ菊地功