菊地大司教

    週刊大司教第六十二回:年間第四主日

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    1月最後の主日である年間第四主日は,世界こども助け合いの日と定められています。今年のテーマは、「わかち合うこころはたからもの」とされています。

    中央協議会のホームページには,次のように説明されています。

    『「世界こども助け合いの日」は、子どもたちが使徒職に目覚め、思いやりのある人間に成長することを願って制定されました。この日はまず第一に、子どもたちが自分たちの幸せだけでなく世界中の子どもたちの幸せを願い、そのために祈り、犠牲や献金をささげます。毎日のおやつや買いたいものなどを我慢してためた子どもたち自身のお小遣いの中から献金することが勧められています。日本では、各教会だけでなく、カトリック系の幼稚園や保育園の大勢の子どもたちがこの日の献金に協力しています』

    教皇庁宣教事業の児童福祉会が担当する事業で、日本の教会の全国の担当者は、東京教区の門間直輝神父様、東京教区の担当者は教区職員の田所さんです。

    Kodomo2021

    準備されている今年の日本のポスターには、「コロナ禍を超えて、すべてのこどもたちが神さまに愛されているこどもとして互いに助け合い、励ましあって今を乗り越えて欲しいという願いが込められています」と、門間神父様が解説しています。

    また昨年のこの日に集められた日本での献金総額は、4700万円を超え、マダガスカル、ナイジェリア、ルワンダ、ウガンダ、ザンビア、ジンバブエ、トリニダードトバゴ、インド、スリランカ での支援事業のために送金されたとのことです。今年もまた、ご協力とお祈りをお願いいたします。

    2月2日の主の奉献の祝日を前に,本日1月29日午後、日本カトリック管区長協議会(男子)と日本女子修道会総長管区長会の共催で、奉献生活者のミサが、イグナチオ教会で捧げられました。本来であれば,聖堂一杯に奉献生活者が大集合するのですが,現在の感染状況もあり,主な方々だけが参加して,ミサはオンラインで配信されました。(上に掲載の写真はそのイグナチオ教会でのミサ)

    私は司式を担当し、教皇大使が英語で説教、そして山野内司教様も共同司式に参加。奉献生活を営む方々の教会の福音宣教活動への貢献に感謝し,その道の上に聖霊の導きと祝福を祈り,同時に奉献生活者の生きた証しを通じて福音に多くの人が触れ、さらには召命が豊かに与えられるように,ともに祈りをささげました。

    来年こそは,皆さん大勢の修道者で聖堂を一杯にして,ともに祈りをささげたいと願っています。またミサの最後には、誓願宣立10年の奉献生活者が,励ましの意味を込めて教皇大使からプレゼントをいただきました。会場には代表として男女それぞれ2人ずつが参加しました。

    奉献生活を営む男女の皆さんに,心から感謝します。

    以下、29日午後6時配信の,週刊大司教第62回目、年間第四主日のメッセージ原稿です。
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    年間第四主日
    週刊大司教第62回
    2022年1月30日

    神の望まれる世界が実現しないのは、一体どうしてなのでしょうか。

    ルカ福音は、ナザレの会堂でイエスが自らの使命を記したイザヤ書を朗読した後に、神の言葉がその日に実現したと告げた後のことを記しています。神の言葉に接した人々は、自分たちがよく知るヨセフの子が、このようなことを言うとは一体どういうことだと、つまづいたことを記します。

    神の望まれる世界が実現しない一番の理由は、わたしたちが神の言葉を、そのままで素直に受け取ることができないことにあります。わたしたちは、受けた言葉を解釈します。往々にしてその解釈は、神の思いを推し量ろうとする識別ではなく、自分の経験と知識に基づいた判断による解釈です。神の言葉を、この世の価値観という枠にはめて解釈しようとする事によって、わたしたちはその実現を阻んでしまいます。

    エレミヤ書は、預言者エレミヤの召命を物語っています。エレミヤが誕生する前から、彼を預言者と選ばれていた神は、「あなたは腰に帯を締め、立って、彼らに語れ」と命じます。しかも、「わたしが命じることをすべて」語るようにと、神は指示します。すなわち、エレミヤが語ろうとすることはエレミヤの解釈ではなく、エレミヤの知恵と知識に基づいた言葉ではなく、神が語ることを「すべて」そのままで告げるようにとの命令です。そこに人間の価値観の枠組みが介入する余地はありません。だからこそ、簡単には受け入れられないのです。拒絶されるのです。それに対して、「わたしがあなたと共にいて、救い出す」と神は約束されます。神の言葉に従い、それをこの世の価値観によってゆがめることなく伝えようとするものに、神は共にいてくださるという約束であります。

    とはいうものの、ただ単に神の言葉を繰り返していればそれで良いわけではないと、パウロはコリントの教会への手紙に記します。すなわち、「たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、わたしは騒がしいどら、やかましいシンバル」にすぎないと、パウロは記します。

    わたしたちは、愛の心を持って、神の言葉を語り伝えなくてはなりません。この世の価値観の枠ではなく、神の愛の価値観の枠を前面に掲げて、神の言葉を告げしらせなくてはなりません。

    「愛は、忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える」

    わたしたち一人ひとりには、一体何が欠けているのでしょうか。自らの言葉と行いを、振り返ってみたいと思います。

    さて教会は本日を、「世界こども助け合いの日」と定めています。以前は「児童福祉の日」と呼ばれ、子どもたちのために何かをしてあげる日のように考えられていました。実際には、この日は、子どもたち自身が使徒職に目覚め、思いやりのある人間に成長することを願って制定されたものです。ですから「助け合い」の名前となりました。今年のテーマは「わかち合うこころはたからもの」です。

    感染症の影響のもと、世界中の子どもたちもその心と体に大きな影響を受けています。生活環境の劇的な変化によって、心身に不調を来しているこども、経済の悪化によって命の危機に直面するこども。世界に目を向けると、助けを求めるこどもの姿が見えてきます。

    生きている神の言葉がともにあることを信じるわたしたちは、将来の世代を担う子どもたちが、互いに助け合い支え合う生き方を選択するよう、ともに神の愛に生きる道を歩んで参りましょう。

    東京大司教タルチシオ菊地功