菊地大司教

    週刊大司教第五十八回:聖家族の主日

    今年の降誕祭は土曜日ですので、翌日の主日が聖家族の主日となります。今夜の週刊大司教は、25日の夜ですが、翌26日の聖家族の主日の福音に基づいてのお話です。

    なお来週1月1日は、週刊大司教をお休みにします。新年1月1日は午前10時から、関口教会のミサを大司教司式ミサとして配信しますので、そちらをご覧ください。新年の週刊大司教は、1月8日土曜日の午後6時、主の洗礼の主日から再開です。

    このクリスマス直前に、バチカンからはちょっとしたうわさ話が流れてきていました。2017年1月1日に、それまで聖座(バチカン)に設置されていた「正義と平和評議会」「開発援助促進評議会」「移住・移動者司牧評議会」および「保健従事者評議会」が統合されて、新しい部署、「人間開発のための部署」が設置されました。これは英語名称が「Dicastery for Promoting Integral Human Development」といいますので、どちらかというと「総合的人間開発促進局」とでも言うのだろうと思います。その責任者は、それまで正義と平和評議会の責任者であったピーター・タクソン枢機卿です。(その頃の最初の会議参加の「司教の日記」はこちらです

    この新しい部署は、統合されたそれぞれの評議会の務めを引き継ぎ、それぞれがデスクとして業務を続けてきました。ですから、新しい部署が創設されたからと言って、正義と平和の務めが消滅したり移住移動者への関わりがなくなったりしたわけではなく、部署内には新しいセクションが設けられて務めの精査が行われてきました。とはいえ、それまで存在していた4つの評議会を統合したことと、特に難民セクションは教皇様直轄となり、その担当責任者の一人であるマイケル・チェルニー師(イエズス会)が枢機卿となったことなどから、組織の見直しが必要ではないかともささやかれていました。今年の夏には、教皇様の指示で、シカゴのスーピッチ枢機卿による業務監査も行われ、同じような業務監査が行われた役所ではその後、責任者が交代となったことから、この部署でもタクソン枢機卿が交代となるのではと推測されていました。

    教皇様が、ラウダート・シなどにおいて、『総合的』という概念を強調されていることもあり、シングルイシューへの取り組みから総合的(インテグラル)な視点への転換は、教会の社会系の活動に広く求められていることでもあります。その意味で、この部署が創設されたことには大きな意味があったと思いますし、教会が社会正義の実現のために幅広く取り組んでいくための総合的担当部署の創設は、この時代にあって不可欠だと思います。

    しかし同時にそれは、組織が巨大化することも意味し、報道によれば、この部署はバチカンの中で予算規模が上から三番目という、結構巨大組織となっていたこともあり、新しい部署として運営するタクソン枢機卿には大きな苦労があったと思います。

    この部署が誕生したときに定められた規約は、試行期間として5年と定められていましたし、聖座の役職は5年で一期を基本としているので、このところ、タクソン枢機卿の去就が注目されていました。教皇庁広報官は23日の記者発表で、教皇様がタクソン枢機卿から提出された5年任期終了に伴う辞表を受理し、1月1日から新しい指導体制が決まるまでの間、チェルニー枢機卿を代理の責任者として任命されました。今後の展開に注目したいと思います。

    タクソン枢機卿は、わたしがまだガーナの小教区で働いていた頃、1991年9月にケープコースト大司教区の名物司教だったジョン・アミサ大司教(ガーナ人初の司教)が交通事故で急死し、その後を受けて92年10月に後任の大司教に任命されました。そのときご本人は博士号取得直前でローマに留学しておられました。大司教任命を受けて急遽福音宣教省に呼び出されたタクソン師は、ジーパンにシャツ姿だったので、玄関の警備員に追い払われたというのは有名な話です。その頃に福音宣教省長官だったトムコ枢機卿から直接聞いたので、本当だと思います。大司教に任命された当時から、ガーナの教会でも一歩も二歩も図抜けた存在であったと記憶しています。初のアフリカ出身の教皇候補と噂されることもしばしばです。今後のタクソン枢機卿に(まだ73歳です)注目したいと思います。

    以下、25日午後6時配信の週刊大司教第五十八回のメッセージ原稿です。
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    聖家族の主日
    週刊大司教第58回
    2021年12月26日前晩

    皆様、主の降誕おめでとうございます。

    誕生した幼子は、飼い葉桶に寝かされて、聖ヨセフと聖母マリアによって、そのいのちを守られています。受肉した神のみ言葉は、家族のうちに誕生し、家族によって守られ、育まれました。降誕祭直後の主日は、聖家族を黙想する日であります。

    使徒ヨハネは、「神の掟を守る人は、神のうちにいつもとどまり、神もその人のうちにとどまってくださいます」と記しています。まさしく聖家族を構成する聖ヨセフと聖母マリアは、神の言葉に従順に従い、その御旨の実現のために人生を捧げられたことで、神の掟を守る人であることをあかしし、その故にこの家族のうちに神は常にとどまり、この家族を聖なる家族とされました。

    ルカ福音は、イエスが十二歳になったときの家族の話を記しています。過越祭のためにエルサレムに上ったとき、その帰路、少年イエスがエルサレムに残り、家族と離れてしまったときの逸話であります。

    三日目に見出されたイエスは、自らが神の子であることを明示され、真の家族は神のもとにあることを示されますが、同時にイエスは、神の掟を守る二人から離れることなく、そのもとにとどまるために、両親と一緒に旅を続けます。

    私たちが教会共同体を考えるとき、そこには「地上の教会と天上の善に飾られた教会」が実在し、互いに別なものではなくて「複雑な一つの実在」を構成していると教会憲章は指摘します。同様に、家族においても、地上の家族と天上の家族があり、私たちは、その両者によって育まれる存在です。

    教皇フランシスコは使徒的勧告「愛のよろこび」の冒頭に、「家庭において生きられている愛の喜びは、教会にとっても大きな喜びです」と記します。その上で、「家庭が健全であることは、世界と教会の将来にとって、決定的に重要なことです(31)」と記します。

    しかし同時に、現実の世界では理想とするような家族ではなく、厳しい状況に直面する家族や崩壊してしまった家族、また家族そのものが存在しないような状況があることを認識し、教会のこれまでの態度を反省してこう記しています。

    「私たちは長い間、恵みに開かれるよう励ますことをせずに、単に教義や生命倫理や道徳の問題に執拗にこだわることで、家庭を十分に支え、夫婦のきずなを強め、彼らの共同生活を意味あるものにしたと信じてきました。(37)」

    司牧的配慮の重要性を説かれる教皇様は、その上で、「教会は、家庭の中の家庭であり、すべての家庭教会が持ついのちによって、たえず豊かにされています」と記して、教会と家庭のきずなを強調されています。

    回勅「兄弟の皆さん」において教皇様は、教会共同体という家庭でともに旅するようわたしたちを招かれ、そのためには兄弟姉妹のきずなのうちに連帯しなければならないと強調されます。神の掟を守ろうとするわたしたちは、共同体の中に神がいつもとどまってくださることを信じています。この共同体は、私たちにとって天上の家族に連なる家族であります。教皇様は、「私たち信者は、神は万人の御父という理解がなければ、兄弟愛の呼びかけに盤石な根拠はない(272)」と記します。この現実の中で、聖なる家族の一員となるよう招かれる主に、積極的に応えましょう。

    東京大司教タルチシオ菊地功