菊地大司教

    週刊大司教第四十九回:年間第三十主日

    ロザリオの月である10月も後半。と言うことは今年も間もなく終わりに近づき、典礼も徐々に待降節をどことなく意識し始めてきます。

    そろそろ小教区ではクリスマスについて計画する時期です。現時点で感染症の状況は落ち着いており、毎日報告される検査の新規陽性者の人数も、低い数字で留まっています。同時に、今後年末、または年始にかけて、もう一度、いわゆる第6波が襲来するという指摘もあります。

    大変残念ですが、今年のクリスマスも、東京教区では(東京都と千葉県)、昨年と同様に、感染症対策を施し、入場を制限して行わざるを得ません。普段教会に足を運ばれる事のない方が大勢教会を訪れるのがクリスマスですが、大変申し訳ありませんが、教会は今年のクリスマスも感染対策を継続して入場を制限せざるを得ませんので、ご承知起きください。来年こそは、またコロナ禍前のいつものように、大勢の方に自由に足を運んでいただけるようになることを、心から願っています。

    すでにお知らせしているように、シノドスの歩みが教区で始まっています。前記事にもあるように、教区の皆さんに共通理解を持っていただくために、教区担当者の小西神父様がビデオを用意され、これは今後も続いて配信されますので、ご活用ください。

    Bangla

    10月の最後から二番目の主日、すなわち今年は10月24日が、世界宣教の日と定められています。この日は、すべてのキリスト者が宣教の心を呼び起こし、世界の福音化のために、霊的物的な援助をすることを目的としています。教皇庁の福音宣教省には世界各地の教会活動を支援する部署が設けられ、世界宣教の日の献金がそのために使われています。それぞれの小教区での献金に、ご協力くださいますようにお願いいたします。(写真は、バングラデシュの先住民族のお父さん。2009年)

    この日のための教皇様のメッセージは、タイトルが「わたしたちは、見たことや聞いたことを話さないではいられないのです」(使徒言行録4・20)とされています。教皇様のメッセージの全文は、こちらのリンクから、中央協議会のホームページでご覧ください。

    以下、本日夕方6時配信の、週刊大司教第四十九回のメッセージ原稿です。
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    年間第30主日
    週刊大司教第49回
    2021年10月24日前晩

    マルコ福音は、バルティマイの目が癒やされた奇跡物語を記しています。病気の治癒の奇跡であるこの物語には、実はイエスによる二つの「治す業」が記されています。

    一つは当然、バルティマイの不自由だった目が癒やされ、見えるようになったという「治す業」であります。もう一つは、そこに集まった大勢の群衆の心を、助けを求める人の叫びに無関心な心から、希望を生み出すかかわりの心へと「治す業」であります。

    バルティマイが叫び声を上げたときに、群衆は「叱りつけて黙らせようとした」と福音は記します。すなわち助けを求める人の声を押さえ込み、その存在を見えない者とした行動であります。その群衆は、福音の後半で、バルティマイに対して、「安心しなさい。立ちなさい。お呼びだ」と声をかけるようになります。助けを求める人の声を押さえ込みその存在を無視しようとした群衆の無関心の心は、励ましを与える配慮に満ちた関わりの心へと変えられ、バルティマイに生きる希望を生み出しました。群衆の心を変えたのは、イエスの一言です。「他の誰でもない。あの男を呼んで来なさい」。すなわち、いのちの与え主である主にとって、今大切なのは助けを求めているバルティマイをおいて他にはいないと、群衆に心を向けるようにと語られました。

    マルコ福音のこの奇跡物語は、すべてのいのちを守ろうとする創造主が、わたしたちに求めている互いの関係性を明確にします。確かに具体的に病気を治すようないつくしみの行為は大切ですが、それは同時に、助けを求めているいのちが、自ら立ち上がって生きる希望を見いだすために、その存在を認め励ますような関わりをすることも重要であることを教えています。

    10月の最後から二番目の主日は、世界宣教の日と定められています。この日は、すべてのキリスト者が宣教の心を呼び起こし、世界の福音化のために、霊的物的な援助をすることを目的としています。教皇庁の福音宣教省には世界各地の教会活動を支援する部署が設けられ、世界宣教の日の献金がそのために使われています。

    今年のテーマは、使徒言行録から、「わたしたちは、見たことや聞いたことを話さないではいられないのです」(使徒言行録4・20)とされており、教皇様はメッセージを発表されています。

    教皇様はメッセージで、「神の愛の力を経験したとき、個人や共同体の生活の中で御父の存在に気づかされたとき、わたしたちは、見たことや聞いたことを告げ、分かち合わずにはいられません」と記し、その上で、「福音宣教の道のりは、どこにいようとも一人ひとりを呼び出し、友としての対話をしたいと望んでおられる主を熱心に探し求めることから」始まると記しています。まさしく、群衆の中からバルティマイを見いだし、声をかけ、その行為を通じて多くの人の回心をもたらし、「安心しなさい。立ちなさい。お呼びだ。」といのちの希望を生み出す言葉をかける人へと変えてくださった主イエスが、わたしたちに従うべき生き方を示しておられます。

    教皇様は、パンデミックという状況が分断と孤立化を深め、「わたしたちは落胆し、幻滅し、疲労し、希望を奪うあきらめの気持ちに、視野が遮られてしまったのです」と指摘します。しかし、「希望のことばは、そのことばにふれるがままでいる人にあらゆる決定論を打ち破らせ、自由と立ち上がるために必要な勇気を贈ります」とも指摘します。わたしたちも、希望を生み出すいのちの言葉を語る者となりましょう。助けを求める人たちに心を向ける者となりましょう。関わりの中で、「安心しなさい。立ちなさい。お呼びだ」と声をかける者となりましょう。

    東京大司教タルチシオ菊地功