菊地大司教

    週刊大司教第十七回:四旬節第二主日

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    東京は坂が多いところだと、つくづく思います。アップダウンが結構激しい。東京カテドラルのある関口も丘の上ですから、例えば地下鉄の駅を出てからカテドラルに向かうと、有楽町線の江戸川橋駅でも護国寺駅でも、どちらから来ても、だらだらと長い坂を上ることになります。

    今朝ほど所用で、後楽園にある文京区役所へ。天気も良かったので、関口から音羽通りの「谷」へ歩いて下り、大塚警察からお茶の水女子大学の横の「丘」を登り、茗荷谷の駅まで20分ほどの散歩。そこから丸ノ内線の地下鉄で後楽園駅まで。この区間は、地下鉄とはいえ、見事に地上の鉄道です。

    後楽園駅は地下二階で文京区役所とつながっています。到着したときはそれほど感じなかったものの、所要を済ませて帰り道。地下二階の連絡通路から後楽園駅に入り、ホームに向けて、ひたすら上る。写真の通り、丸ノ内線のホームは隣の文京区役所の地上二階あたりです (文京シビックホールと隣接のビルが区役所)。「地下鉄」の改札を入ってから、なんとなく常識的に下へ降りる階段を探してしまいますが、ホームへは上りの階段。連絡通路からは四階分を上ります。鉄道はなるべく高低差を設けないで進みますから、それだけこのあたりの地形がアップダウンしているわけで、茗荷谷から後楽園に向けて、かなりの谷になっているんですね。東京は、坂が多い町です。

    さて、緊急事態宣言は、東京都と千葉県ではまだ解除になりません。したがって、現在の教会活動における感染症対策は、現状の通り継続します。それぞれの時点での東京教区の対応は、一覧を教区ホームページに掲載しています。教区ホームページの一番上に、常に現時点での対応へのリンクのバナーが掲示されています。こちらのリンクをご覧ください

    3月7日に解除になることを期待しつつ、解除された場合には、その時点での新たな対応について、別途お知らせいたします。

    コロナ禍になって以来、オンラインでの会議が当たり前になりました。Zoomなんて手段、一年前までは名前も知りませんでした。日本の司教協議会関連の会議も、このところオンラインですが、海外との会議もオンラインになりました。国内も海外も、実際に移動しなくて済むのは良いのですが、海外の場合は参加者の時差があり、どこの時間に合わせて行うかが、今度は難しい調整になります。また物理的に移動する必要がないので、立て続けにさまざまな会議が続いてみたりして、自分の事務室の机の前に、朝から晩まで張り付いている羽目になることもしばしばです。

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    オンラインで会議が淡々と進行するのは良いのですが、そして時間の節約にもなっていますが、やはり実際に会って話をすること、休憩時間に一緒にお茶をいただくことの大切さを感じています。そんな休憩のときに、それまで懸案となっていた事案が思いの外解決したりすることをこれまで何度も体験してきたので、やはりオンラインだけですべてはすませられないとも感じています。写真は、数日前のFABC(アジア司教協議会連盟)のオンライン会議参加者の一部です。

    以下、本日夕方公開の週刊大司教第17回目のメッセージ原稿です。
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    四旬節第二主日
    週刊大司教第17回
    2021年2月28日

    イエスは常に歩み続けます。権威をもって教え、人知を遙かに超える奇跡を行い、多くの人から賞賛を受けていても、その賞賛の場に留まることなく、さらに多くの人に神の福音を宣べ伝えるために、旅を続ける方です。

    本日のマルコ福音は、旅路を歩むイエスが、三人の弟子たちの前で光り輝く姿に変容した出来事を伝えています。神の栄光を目の当たりにしたペトロは、驚きのあまり何を言っているのか分からないままに、そこに仮小屋を建てることを提案したと福音は伝えます。ペトロは、その輝かしい神の栄光の場に留まり続けることを望みました。しかしイエスは歩み続けます。福音はモーセとエリヤが共に現れたと記します。律法と預言書、すなわち旧約聖書は、神とイスラエルの民との契約であり、信仰と生活の規範でありました。そこに神の声が響いて、「これはわたしの愛する子。これに聞け」と告げたと記されています。イエスこそが旧約を凌駕する新しい契約であることを、神ご自身が明確にしました。

    創世記は、神からの試練の内にあるアブラハムの姿を記します。イサクを献げるようにと言う、神からのいわば無理な要求です。アブラハムは、今の安定に留まることなく、神に従って前進することを選びます。アブラハムの人生は、安定に留まらず、常に挑戦しながら旅を続ける人生でした。その生き方を、神は高く評価しました。

    信仰は、常なる挑戦へと旅立つことをわたしたちに求めます。この世でその挑戦が完成することはないでしょう。しかしそれは、ただ闇雲に前進する旅ではなく、「これはわたしの愛する子。これに聞け」と神ご自身が宣言された主イエスの言葉に導かれながら歩む旅路です。

    四旬節にあたり教皇フランシスコはメッセージを発表されています。今年のテーマは、マタイ福音20章18節からとられた、「今、わたしたちはエルサレムへ上っていく」とされています。

    教皇は、歩み続ける姿勢を、いま見直すようにと呼びかけ、こう記します。

    「四旬節は信じる時、つまり神をわたしたちの人生に迎え入れ、わたしたちと一緒に『住んで』いただく時です。・・・四旬節の間、わたしたちは『人を辱めたり、悲しませたり、怒らせたり、軽蔑したりすることばではなく、力を与え、慰め、励まし、勇気づけることばを使うよう』、いっそう気をつけなければなりません」

    その上で教皇は、「愛は、一人ひとりを気づかい思いやりながら、キリストの足取りをたどって生きることであり、わたしたちの信仰と希望の至高の表現です」と指摘します。

    四旬節に信仰を見直すよう、わたしたちは求められています。原点に立ち返ることが求められています。イエスと歩みを共にしているのか、その言葉に耳を傾け、共に旅路を歩んでいるのか、見直すことが求められています。

    今年は、1981年2月23日から26日に、教皇ヨハネ・パウロ二世が教皇としてはじめて日本を訪問されてから40年となります。広島や長崎で平和を求める姿勢を力強く表明された教皇は、東京のミサでも平和を語りました。

    「平和は人間の心の貴重な宝です。平和は正義の実りです。平和はまた愛の実りです。・・・キリストが私たちに人々との平和を保つ力を与えてくださいますように」

    イエスに倣って、愛の実りである平和を実現することが出来るように、主とともに挑戦し続ける旅路を歩みましょう。

    東京大司教タルチシオ菊地功