菊地大司教

    週刊大司教第十五回:年間第六主日

    日本のカトリック司教団は、一年に三回、総会を開催しています。そのうち、12月に開催される臨時総会は一日だけで、基本的には翌年の予算の承認を目的としていますが、それ以外の二回は、月曜から金曜までの日程を組んであり、さまざまな議題が話し合われます。現在は2月を定例、7月を臨時と呼んでいます。司教団と言えば、何か年中集まっていろいろと話し合っているように思われているのかも知れませんが、全員が集まって議論するのは年にこの三回だけです。「司教団」の名前で発表するメッセージなどは、すべての司教の賛同が必要ですから、つまりはこういった年に三回の総会の機会にしか決議されません。

    今年は2月15日からの5日間、定例司教総会が開催されます。司教たちの集まりの上に、聖霊の働きをお祈り下さい。なお今年の総会は、現状に鑑み、オンラインで行われることになりました。

    なお、2月17日は灰の水曜日で、四旬節が始まります。例年の通り、カリタスジャパンによって教皇メッセージを含めたカレンダーや、四旬節愛の献金の封筒などが準備されています。灰の水曜日は、関口教会のミサが朝7時、午前10時、午後7時と三回行われますが、夕方午後7時のミサは大司教司式ミサといたします。また灰の水曜日は、大斎と小斎の日です。大斎と小斎の解説については、こちらのリンクを。そこに記されているとおり、大斎に関しては、「満18歳以上満60歳未満の信者が守ります」と定められています。

    以下、週刊大司教第十五回のメッセージ原稿です。
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    年間第六主日
    週刊大司教第15回
    2021年2月14日前晩

    マルコ福音は、重い皮膚病を患っている人の、イエスによる奇跡的な治癒の物語を記しています。

    主イエスによる病者のいやしは、もちろん奇跡的な病気の治癒という側面も重要ですし、その出来事が神の栄光を現していることは忘れてはなりません。しかし、同時に、さまざまな苦しみから救い出された人の立場になってみれば、それは人と人との繋がりから排除されてしまったいのちを、いやし、慰め、絆を回復し、生きる希望を生み出した業であります。孤独の中に取り残され孤立し、暗闇の中で不安におののくいのちに、歩むべき道を見いだす光を照らし、そのいのちの尊厳を回復する業であります。パウロはコリントの教会への手紙で、「何をするにしても、すべて神の栄光を現すためにしなさい」と勧めていますが、イエスによる病気のいやしという業こそ、その業の偉大さの故に、そして神が与えられた最高の賜物であるいのちの尊厳を明らかにしているが故に、まさしく「神の栄光を現す」わざと言えるでしょう。

    本日の朗読にある創世記は、いのちという賜物を最初に与えられた二人の人間の関係性について語っていますが、その前提は同じ創世記2章18節に記されている、「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう」という創造主の言葉であります。

    すなわち創造主から与えられたいのちは、互いに支え合い、助け合って生きることこそが、本来のあり方であります。いのちは関係を絶たれて孤立のうちに忘れ去られるべき存在ではないが故に、失われた関係性を回復し、排除された者を本来のいのちのあり方へと引き戻すことが、いのちの与え主である神が病のいやしを通じてなさったことでありました。

    ちょうど数日前、2月11日は世界病者の日でありました。この日は、1858年に、フランスのルルドで、聖母マリアがベルナデッタに現れた奇跡的出来事を記念する日でもあります。聖母はご自分を、無原罪の聖母であると示され、聖母の指示でベルナデッタが洞窟の土を掘り、わき出した水は、その後、70を超える奇跡的な病気の治癒をもたらし、現在も豊かにわき出しています。わき出る水は、ルルドの地で、また世界各地で病気の治癒の奇跡を起こすことがありますが、それ以上に、病気によって希望を失った多くの人たちに、いのちを生きる希望と勇気を生み出す源となっています。その希望と勇気は、この世のいのちを生きる力ともなり、また同時に、永遠のいのちの約束の内に、いのちの与え主である神との繋がりを再確認させる招きともなっています。

    教皇聖ヨハネ・パウロ2世が、1993年に2月11日を世界病者の日と定められました。教皇は、病気で苦しんでいる人たちのために祈りをささげるように招くと共に、医療を通じて社会に貢献しようとする多くの医療関係者や病院スタッフ、介護の職員など、いのちを守るために尽くすかたがたの働きに感謝し、彼らのためにも祈る日とすることを呼びかけました。特に今年は、感染症が続いている中で、それに起因する不安のために、感染者や医療関係者への差別的言動が見られるとも聞いています。いのちを守る立場からは、決してあってはならないことです。

    わたしたちは、日頃から主の祈りの中で、「みこころが天に行われるように、地にも行われますように」と唱えています。福音でイエスを前にした病人が、「御心ならば」と治癒を願ったように、わたしたちも心と体を束縛しふさわしい関係性を断ち切ろうとする鎖から解放してくださるように願いたいと思います。賜物であるいのちが、御心のままに生かされますように。

    東京大司教タルチシオ菊地功