大司教
教皇様の新しい回勅が公表されました
2020年10月09日
教皇様は、10月3日、訪れていたアシジの聖堂で新しい回勅に署名され、公表されました。教皇の文書は、多くの場合その冒頭の言葉をタイトルとしますが、今回の新しい回勅は「Fratelli tutti」とよばれています。どう訳すかは定まらないことでしょうが、「兄弟の皆さん」と呼びかけるアシジの聖フランシスコの言葉で始まっています。
手元に英語版がメールで送付されてきたのが前日でしたから、まだすべて読み切れてはいません。回勅について知らせるバチカンニュースによれば、新しい回勅は、いわゆる社会教説(現実世界の諸問題に対して表明される、教会の立場や教え)で、「個人の日常的関係、社会、政治、公共制度において、より正しく兄弟的な世界を築きたい人にとって、大きな理想であると共に具体的に実行可能な道とは何か?」という問いかけに答えるものであると言うことです。
特に教皇様は、この回勅を準備中に新型コロナの状況に直面したことで、兄弟愛と社会的友愛に基づいた正義と平和に満ちた世界を構築する道を考察しておられます。教皇様はコロナ禍にあって、貧富の格差が拡大していることや、利己的な保護主義的考えが蔓延し、助けを必要としている人への配慮が忘れ去られているとしばしば警告されてきました。
たとえば、教皇様は今年の世界難民移住移動者の祈願日メッセージにおいて、世界が感染症対策にばかり目を奪われている陰で、「大勢の人々を苦しめている他の多くの人道的緊急事態が過小評価され、人命救済のため緊急で欠くことのできない国際的な取り組みや援助が、国の政策課題の最下位に押しやられていることは確か」と指摘されました。
その上で教皇様は、「今は忘れる時ではありません。自分たちが直面しているこの危機を理由に、大勢の人を苦しめている他の緊急事態を忘れることがあってはなりません」と呼びかけておられました。この危機に直面することで、誰も一人で生きてはいけず、互いに支え合い連帯を強めなくてはならないとの教皇様の願いが、この新しい回勅に詳述されています。
新しい回勅の中で教皇様は、現代社会の経済システムのはらむ課題に詳しく触れ、矛盾が生み出す様々な悪を指摘した上で、「特にキリスト者に対し、あらゆる疎外された人の中にキリストの御顔を見つめるようにと招いて」います。
また教皇様は、かなりの分量をさいて、「戦争、迫害、自然災害からの避難、人身取引などによって故郷を追われた移民たちの『引き裂かれた生活』(37)を見つめ、彼らが受容、保護、支援され、統合される必要を」説いています。
そのほか教皇様はこの回勅の中で、政治のあり方や、戦争についても触れていますが、特に「正戦論」に対して、ある一定の考え方を提示している箇所が注目されます。終わりの部分で教皇様は、「人類の兄弟愛の名のもとに、対話を道として、協力を態度として、相互理解を方法・規範として選ぶよう」アピールをされています。
2020年に私たちは世界的な規模で、未知の感染症によって命の危機に直面し、また社会がこれまで当然としてきた多くのことを見直す機会をあたえられました。教会も、集まれない現実の中で、それでは教会共同体であるとはどういうことなのかをあらためて考えさせられています。
命を守るための行動は、まだまだ続くでしょう。日夜命を救うための活動に取り組まれる医療関係者に心から敬意を表すると共に、病床にある多くの方に御父のいつくしみ深い手がさしのべられ、健康を回復されるように祈ります。
この現実のただ中で、教皇様はこの回勅を通じて、世界全体の進む方向を見直すように呼びかけられています。守るべきものは賜物である命であること、それも例外なくすべての命であることを明確に示されています。まさしく時宜を得た社会への呼びかけの回勅であろうと思います。
さて、そういう重要な回勅ですが、公式の翻訳が整うまでには、今しばらく時間がかかるものと思います。バチカンのサイトにはすでに8カ国語の翻訳が掲載されていますが、もちろん日本語は含まれていません。これら8カ国語は、最初からバチカンで整えられた公式訳です。
これらの言葉を使っている国の司教団は、うらやましいものだと思います。出来上がっている翻訳を、あとは広めるだけですから、様々な方法がすぐに思い浮かびます。うらやましい。日本語訳は、もちろん日本の司教協議会で行わなくてはなりません。原文が数日前に届いたばかりですから、これからです。中央協議会には翻訳のための職員がいますが、こちらは日常の翻訳業務がありますから、これからまず、どの言語版を底本とするかを決めて、その言語の翻訳者を探さなくてはなりません。もちろん仕事としての翻訳作業と出版作業ですから、それなりの費用が発生します。よく尋ねられる、「どうして無料でネット公開しないのか」というご意見は、申し訳ないのですが、経済的に厳しいものがあります。また公式訳は、それまでの教皇回勅と翻訳の整合性をとらなくてはならないので、原語とその翻訳を、以前の同様の用語の翻訳と合わせるためのチェック作業が不可欠です。そうしないと、たとえば「「いつくしみ」と「あわれみ」のように、同じ原語に複数の翻訳があって、後々に難しいことになってしまいます。どうしても即座に翻訳発行とはなりませんので、今しばらくお待ちください。