菊地大司教

    助祭叙階式@東京カテドラル

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    6月6日土曜日の午後2時から、東京カテドラル聖マリア大聖堂で、東京教区の小田武直神学生と宮崎翔太郎神学生の助祭叙階式を執り行いました。

    本来は4月に、豊四季教会で行う予定でありました。豊四季教会の皆さんには、いろいろと準備をしていただいたのですが、今般の状況のために、公開ミサを行うことができません。同時に、神学生は司祭になるためには、必ず助祭に叙階されなくてはならないのですが、その助祭職を、少なくとも半年は過ごさなければなりません。そういったこともあって、6月6日に、非公開ミサで、教区や神学院の関係者だけが参加して、叙階式を執り行いました。今回も、いつもの配信ミサと同様、イエスのカリタス会のシスター方が、聖歌を歌ってくださいました。また、叙階式には必ずつきものの諸聖人の連願は、教区式典長のひとりである高田神父が独唱しました。これらは、ビデオをご覧ください。

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    現在、東京大司教区には、司祭へ向けて養成中の神学生が、助祭を含めると七名おります。すでに関口で働いているホルヘ助祭を初め、今回叙階された二人。そして助祭叙階準備中の神学生がひとり。さらに哲学の段階に三名がおります。神学生たちの召命のために、お祈りくださいますように、お願いいたします。

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    以下、助祭叙階式の儀式書には説教が記されているのですが、その前部分に付け加えた説教の原稿です。
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      宮崎神学生・小田神学生助祭叙階式
    2020年6月6日
    東京カテドラル聖マリア大聖堂

    今年の東京教区助祭叙階式は、歴史に残るような状況下で行うことになってしまいました。新型コロナウィルスの感染が広がり緊急事態宣言まで発令されたり、様々な活動の自粛が呼びかけられています。教会も灰の水曜日以降、公開のミサを中止する措置をとらざるを得なくなりました。この数日は、暗闇の中にもやっと出口の光が見えるようになってきたと感じますが、まだまだ完全に終息したわけではなく、慎重な行動が必要です。そのようなわけで、今日の助祭叙階式も、本来は小教区の共同体の方々と喜びを共にしながら行うところ、非公開で行っています。

    当初は軽い風邪のようだと言われていたものの、感染経路が定かではないことや治療法が確立されていないため、わたしたちは暗闇の中に光を持たないまま放り出されたような気分になっています。先行きに希望が持てず不安が増すときに、守りに入るわたしたちの心は利己的になり、社会全体に殺伐とした雰囲気が漂い始めます。

    「わたしの喜びがあなた方の内にあり、あなた方の喜びが満たされるためである」と福音に記されています。

    わたしたちの信仰は、暗闇の中に輝く一筋の光のように、不安をぬぐい去り、生きる希望を生み出すものです。信仰は希望そのものです。そして将来に対する確固たる希望が生まれるとき、そこには喜びが生まれます。わたしたちが心の壁を築いて利己的になり、自分の内にこもるとき、暗闇が支配し、希望は生まれず、喜びもありません。

    「出かけていって実を結び、その実が残るように」と選ばれて呼ばれているわたしたち奉仕者は、暗闇に勇気を持って踏み出し、人との交わりの中で心の壁を打ち砕き、光を輝かせて希望を生み出し、多くの人の心に喜びを分かち合いたいと思います。

    光が失われ、希望が失せ、喜びが消え去るとき、暗闇が支配する社会にあって、人間のいのちは危機に直面します。時に殺伐とした言葉の投げ合いが、いのちを奪うこともあります。助けを必要としている人が、忘れ去られ、排除されてしまいます。神からの賜物であるいのちが、感染症のためではなく、分断されたきずなのために、危機に直面しています。

    「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」と語るイエスは、十字架での死をもって、それをあかししました。教会で奉仕するように呼ばれたわたしたちは、その十字架の愛のあかしに倣って生きることが求められています。疑心暗鬼の中で彷徨う世界のただ中にあって、心に築かれた守りの壁を打ち砕き、助けを必要としている人たちに目を向け、常に希望の光を掲げる気概を持つ奉仕者を目指して、助祭の務めを果たしてください。(以下:儀式書本文に続く。「皆さん、皆さんのご親族、あるいは友人であるこの方々は、間もなく助祭団に・・・」)

     

     

    東京大司教タルチシオ菊地功