教区の歴史

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主の公現の説教

2016年01月03日

2016年1月3日 鴨川教会にて

[聖書朗読箇所]

説教

「主の公現」とは主なる神が御子イエス・キリストを諸国の民に示された、という神のみわざを表すことばです。

今日のマタイの福音は、占星術の学者がベツレヘムに来て幼子イエスを拝み、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた、と述べています。

「占星術の学者」は博士とも賢人とも呼ばれています。

ふつう、「三博士」と言われていますが、それは、「黄金、乳香、没薬」の三つの贈り物から来てくる数字です。福音書には博士の人数は出ていません。

後に三人の名前も伝えられるようになりました。三人は、伝説によれが、メルキオール、バルタザール、カスパールと言い、メルキオールはメシアの王権を表す黄金を献げ、バルタザールは神性を表す乳香を、カスパールは埋葬を表す没薬を献げました。

確かにヨハネの福音では、イエスの埋葬のために没薬と沈香が用意された、とあります。(ヨハネ19・39-40参照)

ちなみに、東京教区が大変お世話になっているケルン教区の大聖堂にはこの「東方三博士(賢王)」の聖遺物が祀られています。なお、3月4日には、ケルン教区の大司教であるヴェルキ枢機卿がこの聖遺物とともに、わたしたちの東京教区を訪問してくださいます。

さて、三博士は東方から来たのですが、さらに東にあるこの日本にもメシア=キリストの光が届きました。わたしたちは御子キリストの光を受けて、その輝きを人々に表し伝えるという使命を受けています。

今日の奉納祈願でわたしたちは祈ります。

「いのちの源である神よ、教会の供えものを顧みてください。黄金、乳香、没薬ではなく、主イエス・キリストご自身をあらわすこの供えものによって、いのちの糧を受けることができますように。」

わたしたちは黄金、乳香、没薬は持っていません。その代りに日々の生活すべてを、ミサにおいて、主イエスを表すパンと葡萄酒とともに父である神に献げるのです。

先ほど皆さんは「教皇フランシスコ いつくしみの特別聖年のための祈り」を唱えました。その中で次にように祈ったのです。

  主イエス、・・・・
 あなたは、目に見えない御父の、目に見えるみ顔です。
 何よりもゆるしといつくしみによって、自らの力を示される神のみ顔です。
 教会がこの世において、復活し栄光に満ちておられる主のみ顔となりますように。
 あなたは、ご自分に仕える者が弱さを身にまとい、
 無知と過ちの闇の中を歩む人々を、
 心から思いやることができるようお望みになりました。
 これらに仕える者に出会うすべての人が、
 神から必要とされ、愛され、ゆるされていると感じるこことができますように。

 

実はわたしたち自身が罪深くまた弱い人間です。だからこそこの世の中で「無知と過ちの闇の中を歩む人々を、 心から思いやることができる」はずなのです。「ご自分に仕える者」とは、わたしたち教会です。わたしたち一人ひとりのことです。わたしたちを通して神のいつくしみが現れ伝えられるのです。わたしたちと出会う人々が、自分は「神から必要とされ、愛され、ゆるされていると感じる」ようでありたいものです。

主イエスに倣い、弱い人間、それとは知らずに過ちに陥っている人々にお仕えすることによって、自分の献げものをささげるのです。

わたしたちによって、キリストの復活の光が現れ伝えられますように。罪人である弱い人間を通して主キリストのみ顔が示されますように。わたしたちが神のいつくしみの目に見えるしるしとなることができますように、祈りましょう。