教区の歴史
豊島教会堅信式説教
2015年10月04日
2015年10月4日、年間第27主日、豊島教会にて
説教
今日からヴァチカンで「世界代表司教会議 第14回通常総会」が始まります。会議の主題は「教会と現代世界における家庭の召命と使命」です。
家庭という課題を、教会と世界の両面から見ながら、現在の家庭の問題、家庭の役割、家庭の意味、家庭の使命などを見ていこうとするものです。今回は前年の第三回臨時代表司教会議(シノドス)の継続であります。昨年の議題「福音宣教の観点からみた家庭司牧の課題」でした。
この二回の会議開催の背景には、家庭の直面している種々の問題と困難があります。例えばもはや、家庭において信仰を次の世代に継承させることが困難になっているという現実が世界中にあると思われます。
以上を前置きにして、今日の第一朗読・創世記を見てみましょう。
主なる神は言われた。「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。」
主なる神はそこで、人を深い眠りに落とされた。人が眠り込むと、あばら骨の一部を抜き取り、その跡を肉でふさがれた。
そして、人から抜き取ったあばら骨で女を造り上げられた。主なる神が彼女を人のところへ連れて来られると、人は言った。「ついに、これこそ、わたしの骨の骨、わたしの肉の肉。これをこそ、女(イシャー)と呼ぼう。まさに、男(イシュ)から取られたものだから。」
こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる。
人はだれでも一人で生きていけません。助けてである相手、パートナーを必要としています。神は人を、互いに助け合い支えあうものとして、男と女に創造されました。
男にとって女は神の恵み、大きな喜びの源です。男がぐっすり眠っている間に女が造られ、目が覚めると傍に女が居ました。女の創造に男はなんの働きもしていません。女は男に与えられた純粋の大きな恵みの伴侶であります。もはや、男にとって女なしには自分というものが考えられない存在となりました。まさに自分の半身、骨の骨、肉の肉です。
イシュ、イシャーというヘブライ語の原文はそのことをよく示しています。二人は別な存在ですが同時に一体をなす存在です。以上述べたことはそのまま女にとっても同じことが言えます。
創世記によれば人はそのような存在として、男と女として創造されたのです。
しかし、現実の男女の関係は必ずしもそのような祝福された状態には置かれておりません。どうして人間の現実に問題が生じたのか、その理由と次第を、創世記3章誘惑と堕罪の物語が語ります。
最初の人間アダムとエバは蛇の誘惑に負けて、創造主である神への不信を抱き、不従順に陥ってしまいました。その結果、人と神との関係にひびが入りました。人と神との関係の不具合は、男と女、人と大地との関係に不具合に波及します。これがいわゆる原罪という考え方です。
結婚と家庭をめぐる問題と困難は、創世記の物語に起因しているといえるのかもしれません。
主イエスはこの人類の歴史に介入し、壊れた関係を修復し、さらにそれを超える素晴らしい状態に高めるために来られました。
人間の問題のかなりな部分は男女の問題、性に関するものではないでしょうか。
男女の関係を本来の神の定めた秩序に戻すだけでなく、さらにそれを清め、よりふさわしい聖なる関係に刷新するためにイエス・キリストは来られたのです。
今日のマルコによる福音でイエスは言われました。
「天地創造の初めから、神は人を男と女とにお造りになった。それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。だから二人はもはや別々ではなく、一体である。従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。」
さて、この機会をお借りして、結婚に関する一つの良いお知らせをお伝えします。
教皇フランシスコは先日、9月8日に自発教令を発表して、婚姻の無効宣言手続きをより簡略に、より迅速にするよう、教会法典の改正を行いました。
これは結婚しているといっても実は結婚とは言えない、無効な結婚である場合があります。その場合、教会が結婚の無効を宣言することができます。今回はその無効を宣言する手続きについての改正です。詳細は別な機会に譲りますが、「離婚ではない無効な結婚」ということがある、ということを今日、心にとどめておいていただきたいと思います。