教区の歴史
ケルン教区訪問日本人共同体ミサ説教
2014年03月08日
2014年3月8日 ドイツ・デュッセルドルフ
聖フランシスコ・ザビエル教会にて
説教
ドイツの日本人共同体の皆さん
10年ぶりに皆さんの共同体訪問が実現しまして、うれしく存じます。
今日は土曜日ですが、四旬節第一主日のミサをささげます。
「イエスは悪魔から誘惑を受けるため、“霊”に導かれて荒れ野に行かれた。」(マタイ4・1)
今日の福音の冒頭の部分です。この文章のなかに、悪魔と霊の双方が出てきます。霊は聖霊にほかなりません。
聖霊はイエスを悪霊の誘惑に会わせたのでしょうか。悪霊と聖霊は相容れない存在です。霊はイエスを誘惑にあわせるようにとイエスを荒れ野に導いたのでしょうか。
イエスは聖霊に満ちていた方です。イエスが洗礼者ヨハネから洗礼を受けたとき、神の霊が鳩のように下ってきて、天から「これは私の愛する子、わたしの心に適う者」(マタイ3・17)と言う声がしたのでした。ルカ福音書によれば「イエスは聖霊に満ちて、ヨルダン川からお帰りになった」(ルカ4・1)のです。
その霊がイエスを誘惑にあうことをゆるすとはどういうことか、と考えてみましょう。
イエスはまことの人間でしたので、人間として誘惑を感じ誘惑に出会うのです。人間として誘惑に会い誘惑に打ち勝ったからこそ、イエスはわたしたちの救い主になることが出来たのです。イエスは誘惑を受けなかったのではなく、誘惑を受けてもそれに打ち勝ったのです。だからこそ弱いわたしたちの救い主なのです。
今日の第二朗読でパウロは言っています。
「一人の罪によってすべての人に有罪の判決が下されたように、一人の正しい行為によって、すべての人が義とされて命を得ることになったのです。一人の人の不従順によって多くの人が罪人とされたように、一人の従順によって多くの人が正しい者とされるのです。」(ローマ5・18-19)
イエスは誘惑に打ち勝ち、父への従順を貫いて、すべての人に命をもたらす救い主となりました。
悪の力は強く、悪霊は侮りがたい存在です。
エフェソ書は言います。
「わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです。だから、邪悪な日によく抵抗し、すべてを成し遂げて、しっかりと立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。」(エフェソ6・12-13)
神はわたしたちも誘惑に会わせることをゆるしています。しかし誘惑に負けないように励まし助けます。復活のキリストはいま、わたしたち弱い人間が誘惑に負けないようにと、励まし支えてくださいます。
日々イエスに倣うように努め、また聖霊の助けを願い求めましょう。
イエスは三つの誘惑に打ち勝ちました。
第一の誘惑は、人生においてパンの問題を第一にする誘惑です。
第二は、困難に出会うと神を疑い、神を試してしまうという誘惑です。
そして第三は、地上の権力と栄華を、神でないものを神として礼拝するという偶像礼拝の誘惑でした。
この世界は誘惑でいっぱいです。先ほど懇親会の中でうかがったことですが、今の日本の社会は悪の力に侵入されています。その中で日々暮らしている者にとってそれが当たり前にことになっていて、悪とは思わないかもしれません。
しかし何年ぶりかに故国に帰った人は、この社会はおかしい、どうしてこんなに変になってしまったのか、とお感じになるのでしょう。
実際、金がすべての社会になっている感があります。神でない偶像、それも金の力を信じてあくせくしているのが今の日本人かもしれません。偶像崇拝の過ちから救われるよう、祈りましょう。
次の主の祈りを心から唱えましょう。
「わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお守りください」と心から祈りましょう。