教区の歴史
千葉寺教会待降節黙想会中ミサ説教
2013年12月15日
2013年12月15日 待降節第3主日 千葉寺教会
説教
今日の入祭唱は「主にあっていつも喜べ。重ねていう、喜べ。主は近づいておられる。」(フィリピ4・4-5)です。
むかしから待降節第三主日は「喜びの主日」と呼ばれています。今日わたしたちは主イエスの誕生を祝うクリスマスが近づいていることを喜び祝います。
今日の福音の中でイエスは洗礼者ヨハネの弟子に答えて言いました。
「行って、見聞きしていることをヨハネに伝えなさい。目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞えない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。わたしにつまずかない人は幸いである。」(マタイ11・4-6)
イエスの宣教活動のなかで目立つことは「いやし」ということです。イエスは見えない人の目を開き、聞こえない人の耳を開くなどの数々の「いやし」を行いました。それはすでに本日の第一朗読、イザヤの預言が告げているとおりの出来事です。
今日の第一朗読イザヤは、繰り返し、「喜びなさい」ということを告げています。「荒れ野よ、荒れ地よ、喜び踊れ」(35・1)、「主に贖われた人々は・・・喜び歌いつつシオンに帰り着く。」(35・10)などと述べられています。
病人やからだの不自由な人のいやしはメシア到来のしるしと考えられます。今日の福音書は、イエスご自身が、イザヤが預言しているメシアに他ならない、と述べているのです。
今わたしたちはメシア・イエスのご誕生の日を喜び迎える準備をしております。イエスの誕生を記念し、喜び迎えるためには、ふさわしい準備、特に心の準備が大切です。赦しの秘跡を受けて心の清めを受けることが勧められます。
ところでわたしたちは今年もクリスマスを祝いますが、その必要がなくなるときがが来ます。それはイエスの決定的な訪れである再臨のときです。栄光のうちにイエスは再臨されると聖書と教会は教えており、わたしたちはそのように信じています。
司祭はミサのなかで、主の祈りの本文と聖体拝領の間の祈り、正式には、「主の祈りの副文」と言う名称の箇所で次のように祈ります。
「わたしたちの希望、救い主イエス・キリストが来られるのを待ち望んでいます。」
イエスの来られるこのときに向けてわたしたちはいつも準備をしていなければなりません。
主の再臨の日は人類の歴史の最後ですが、わたしたち個人の人生にもそれぞれ最後の日が来ます。わたしたちは誰でも地上の生涯を終えて旅立つ日である「死」を迎えるのです。そのときが、わたしたち一人ひとりの決定的で最終的な主イエスとの出会いのときです。そのときに備えて日ごろから準備をしていなければなりません。
今日の第二朗読、ヤコブの手紙が言っているように、試練と困難のなかでわたしたちは忍耐と希望のうちにその日を待ち望んでいなければなりません。そのために、信仰を固く持ち、自分自身を清く保つよう、心がけましょう。
聖霊がわたしたちを守り導き助けてくださいますように。アーメン。